六月の女すわれる荒筵 石田波郷
e 152002
六月の女すわれる荒筵
石田波郷
作者が実際に見た光景は、次のようだった。「焼け跡情景。一戸を構えた人の屋内である。壁も天井もない。片隅に、空缶に活けた沢瀉(おもだか)がわずかに女を飾っていた」(波郷百句)。「壁も天井もない」とは、ちゃんとしたそれらがないということで、四囲も天井もそれこそ荒筵(あらむしろ)で覆っただけの掘っ立て小屋だろう。焼け跡には、こうした「住居」が点在していた。女が「六月」の蒸し暑さに堪えかねたのか、壁代わりの筵が一枚めくり上げられていて、室内が見えた。もはや欲も得もなく、疲労困ぱいした若い女が呆然とへたり込んでいる。句の手柄は、あえて空缶の沢瀉を排して、抒情性とはすっぱり手を切ったところにある。句に抒情を持ち込めば哀れの感は色濃くにじむのだろうが、それでは他人事に堕してしまう。この情景は、詠まれた一人の女のものではなく、作者を含めて焼け跡にあるすべての人間のものなのだ。哀れなどの情感をはるかに通り越したすさまじい絶望感飢餓感を、荒筵にぺたんと座り込んだ女に託して詠みきっている。焼け跡でではなかったけれど、戦後の我が家は畳が買えず、床に荒筵を敷いて暮らしていた。あの筵の触感を知っている読者ならば、いまでも胸が疼くだろう。『雨覆』(1948)所収。(清水哲男氏の文を引用。