今朝(6月2日)のTBSラジオ『森本毅郎・スタンバイ!』で森本さんも語っていたが、例の「備蓄米の第一弾はどこへ行っちゃったのか?」という疑問は私もずっと抱いていたものだ。
というか、市場に出回っている米が少ない上に価格が異常に高騰している現実を打開するため備蓄米を放出するという話だったはずだ。
その時点で私は、政府が一定の安値で放出するものと考えていたが、何と入札を通して従来の流通ルートで流すということだった。
入札制度に疎い私は、ふーん、普通は高値を付けた業者に落ちるけど、今回は政府が一定の暗黙のガイドラインを設定して「適正価格」に最も近い値を出した業者に渡すのかな?などと勝手に想像した。
そうでもしない限り入札に回せば値が高くなるのは当たり前のことだから。
まして入札に参加したJAなどは好んで安くするはずはない。
だから、そもそも備蓄米を入札に回すこと自体が間違っていたのだ。
事この度の供給不足・価格急騰を解決するためには・・・。
その意味では、今回の小泉新農相が打ち出した「随意契約」というものもそれなりに合点がいく話ではある。
最初からそれでいけば良かったのだ。
そもそも備蓄米とは天候不順による凶作時に備えて政府が毎年買い上げている米ではなかったのか。
今回は確かに天候不順で収穫量が減少したことはあるが、凶作とまではいかなかった。
ただ、円安の影響等で諸物価が高騰し米生産農家も経営難に陥り、それと絡んで流通過程でも目詰まり(ここが最も問題ではあるが)を起こして例年通りには米が流通しなかったのではないだろうか。
事実、農家を経営する友人が同窓会の席で、「この度の米価高騰は、たしかに消費者の皆さんには困った現象だとは思いますが、機械や肥料等々の生産に必要なコストが年々上昇しています。さらに円安が追い打ちをかけている有様です。どうか、こうした状況にご理解いただきたいと思います」と述べるのであった。
たしかに、農家の所得を向上させるには生産者価格の高値維持が必要だろう。
しかし、市場の原理では供給量が多ければ価格は下がるので、高値を付けるには少ない方が良いことになる。
米作農家を守るためとして「減反政策」を継続してきたのはそのためだ。
キャベツ生産者が大豊作の結果、供給過多となり、価格暴落を防ぐためにも出荷せず廃棄処分にするのに似て、米農家に代わって政府が供給を抑える方策に出るのが生産調整という名の「減反」である。
耕作地がありながら作付けをしないというのは、実におかしな話ではないか。
農業従事者にとって耕地は大切な財産であり、それを有効活用することこそ業務であるはずだ。
しかし、敢えて生産を抑えてまで市場に介入するのは米が国民の主食穀物だからである。
安値が続いて廃業でもされたら、それこそ食糧安保が崩壊する。
今回の「米騒動」の原因の一つは生産調整や市場原理の必然性が生み出す「流通調整」とも言うべきものだ。
資本主義とは商品の流れていく過程でそれぞれの場における最大利潤を追求するものなのだ。
第一回目に放出した備蓄米はほとんどそのままの形で出回ることなく、どこかでストックされていたりブレンド米として銘柄米に混ぜ合わせて流通されたりしているのであろう。
したがって、多少の価格低下には貢献したかもしれないが、この一回目の放出は失敗だったといってもよい。
政府自民党内においても「農水族」といわれるJAと密な関係にある議員は、今回の備蓄米放出には消極的だったといわれている。
米価が下がっては困るからである。
しかし、コメ問題を政府や農林族に振り回されている現状をもっとしっかり見極める必要がある。
結論を言えば、今までの政府自民党の農業政策が根本において間違っていたのである。
主食の安定供給と稲作農家の安定経営を維持するには、生産調整や備蓄米放出などではないのだ。
農家には作れるだけ作っていただき、大量に出回れば市場原理で消費者が安く入手できるようにすれば良いだけの話だ。
つまり、豊作の年は安く入手できるのが当たり前になるような農業政策をとるべきなのだ。
具体的には、稲作農家への「所得補償」を手厚く行い、安心して生産に励めるようにする必要がある。
要は、国は主食生産を調整するのではなく、生産規模や品質に応じた一定の所得補償に頭を使うことが重要になってくるわけだ。
この「所得補償」政策は多少の問題はあるにせよ、野党も主張している。
今までの農政を大きく変えさせるチャンスととらえて、野党は更にもう一歩深入りした研究や論議をふまえた政策を政府につきつけるべきである。
小泉新農相の歯切れ良い言葉のパフォーマンスは一時の解決策かもしれないが、そんな一時しのぎではコメ生産農家が置かれた根本的矛盾は解決しないのである。
まして、JAと一体化した農林族などに本当の意味で農家を守れるはずはないのだ。
米価問題を報じるマスメディアも話題性のみ追いかけているが、何が根本的に間違っているのか、もっと深堀した報道をすべきではなかろうか。
その端緒となるのは、冒頭に述べた森本さんの話などから始まるのも結構だと思う。
つまりは、現在起こっている事実に流されるのではなく、批判的に検証していくことが求められているような気がする。
2025.06.02
<すばる>
