さて、夏の大会で初めて彼の姿を見た時はあえなく三振や凡打に倒れた場面だった。
3度目の打席では代打を送られ、悔し涙が目に浮かんだ…。
しかし、彼の代わりに打席に立ったのはチーム唯一の女子選手だったのは幸いだった。
何とその彼女がライト前に打ち上げたフライを右翼手がエラーしたのだ。
応援席は一気に盛り上がった。
それがきっかけでチームは逆転勝利を飾ったのである。
孫の心境を思うに、かなり複雑なものだっただろう…。
翌週、次の試合も私は観戦した。
この日はM中の打線が全く奮わず、初回に1点を取って以降はほとんど出塁することがなかった。
敗色濃厚な6回(中学校の地区大会は7回まで)の表、4番バッターが相手エラーで出塁した後、次に打席に入ったのは孫、これで中途半端なバッティングで内野ゴロでも打ったら一気にゲッツーの可能性もある中、粘りに粘ってついに四球を選んで一塁に歩いた。
何しろそれまでヒット2本に抑えられ、1-2でリードを許していた彼のチームはここで一気に盛り上がった。
孫がホームインすれば逆転だ。
ところが、ここで雨足が強くなり止む気配もなく試合は中断、結局次週の第一試合に続きを行うことになった。

帰宅した彼を私は褒めた。
あの場面で四球を選んで出塁したのは実に大きなことだ…と。
実際、大人でもドキドキするこんな場面で、追い込まれても冷静にボールを見極めて四球を得たのは素晴らしいと思ったからだ。
この続きの試合も観戦したかったが、残念ながら行くことができずハラハラしながら結果の報告を待った。
「今日はM中野球部の大切な試合だね。R(孫)のホームインが決勝点になることを祈ります。勝っても負けても全力でプレーしてね」とLINEを送っていた私である。
やがて、私の願いが通じたかの様にM中学はこの回で逆転、3対2としてそのまま逃げ切ったとの知らせが娘から入った。
私はドライブ中のハンドルを叩いて歓喜した。
私のシミュレーション通りに孫っ子がホームイン、これが決勝点となったのである。
こうした試合を重ねていった孫のM中は、念願の県大会出場が決まった。
ある試合の際に、ボランティア部の部長を務める大柄で大らかな男の子が応援にやって来たことがある。
彼とは地域の神社の清掃活動で知り合ったのだが、「やっぱ、行かなくちゃまずいかなと思ったんで…」と笑いながら話してくれた。
元々は柔道をやっていたという彼は、「まっ、もうやめてもいいかなって思ったんで…」地味なボランティア部に入ったとか。
その彼が仲間の活躍を自分のことの様に喜ぶ姿が印象に残る。
孫に聞くと、やっぱり学年の人気者でいい雰囲気を周囲に放っているようだった。
話は少し逸れたが、孫の受験勉強専念の開始時期がこれでまた先送りになったのである。
さて、県大会は初戦から強豪校と言われるチームとぶつかった。
この日も残念ながら私は応援には駆けつけることができなかった。
外出先で吉報を待ったがなかなか連絡が来ない。
きっと良い試合をしてるに違いない…と思っていたところ、娘から連絡が入った。
かなり追い詰めたのだが、力及ばず惜しくも敗戦したとのことだった。
ところが、送られて来た動画を見ると何と彼は外野手の頭上を抜く大きな当たりを放ち、そのままホームまで走り込んでいるではないか!
ランニングホームランを打ったのである。
さらに三遊間を破るゴロのヒットも打ち、この日の彼は大当たりだったようだ。
試合には負けてしまったのに、娘は妙に明るい雰囲気で語るのだった。
親としては、このまま勝ち進んで行ったら受験勉強がさらに先延ばしになるからだろう…。
私は例によってLINEで彼にメッセージを送った。
「凡フライが多かったM中にあって、強烈なゴロのヒットを打ったのは素晴らしい。また、無理して引っ張らず右方向へジャストミートしたランニングホームランも基本に徹した成果だね」と。
帰宅して久し振りに顔を合わせた際、夏の大会の始めの頃とは全く表情が変わっていた。
何か柔らかな顔立ちになっていたように思う。
自分としても満足できた最後の試合だったからだろう。
彼にとっての暑い夏が終わった。
(つづく)
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