ちょっと格好をつけて「彼我の差」と書いてしまったが、この言葉は「あちらとこちらの差」という意味だ。
これを感じたのは、7月の初めのこと、イギリスのジョンソン首相がやめるというニュースを聞いた時だ。
ジョンソン首相と言えば、紆余曲折がありながらもイギリスをEUから離脱させることに「成功した立役者」である。
どうしてやめることになったのか、と思ったら、「コロナの流行下にもかかわらず官邸でパーティーをしていた」「与党の幹部の性的スキャンダルについてうそをついていた」ということが理由らしい。
さらにこのスキャンダルへの対応について「主要閣僚だけでなく約50人もの政府高官が辞任を表明し、政権運営に支障が出て、首相辞任を求める圧力が高まったため」(NHKニュース7月7日付)ということだった。
もうお分かりのことと思うが、あちらはイギリス、こちらは日本である。
いったいこの国の腐り加減はどうだ。
国会で118回のウソの答弁をしても、与党内部から批判の声一つ聞けず、政府の官僚は「忖度」を繰り返して、嘘つき首相を擁護し続けたのに対し、「うそをつく首相の下では仕事ができない」と辞任を表明した政府高官が50人もいたというのだ。
この話をいつ書こうかなと思っていた翌日、あの奈良の事件で嘘つきな元首相は殺されてしまったのである。
そして、岸田首相は嘘つき首相の死を政権基盤の強化に使うべく「国葬」にすると言い出した。
さらには、「元首相の遺志を継ぐ」という言葉で明らかなように、安倍元首相を美化することで、憲法改悪につき進もうという魂胆である。
こうした当初の目論見は、元首相の殺害理由が「旧統一教会との関係」だという犯人の自白によって、また、元首相にすり寄っただけでなく、選挙での応援を目当てに旧統一教会の悪事を知らなかったことにして、深い関係を結んできた議員が多数だと発覚したことで、頓挫しそうである。
完全に頓挫したわけではないので、油断は禁物だが。
そして、今日9月9日、イギリスから「エリザベス女王死去」のニュースが伝えられた。
当然イギリスでは、「国葬」が執り行われ、各国の要人が弔問に大挙訪れることになるのであろう。
岸田首相や元首相を担いできた「似非インテリ」や「ちょうちん持ち」コメンテーターは、国葬の意義について「弔問外交」を上げていたが、この論理は完全に破たんしたといえよう。
そして、岸田政権が強行しようとしている日本の「国葬儀」が、まがい物の「なんちゃって国葬」に過ぎないことが世界中に知れ渡ることになるのである。
今月27日の「国葬当日」まで、各地での「国葬反対行動」に参加して「国葬反対」の声を上げ続けていこうではないか、私たち、日本の市民が「世界の笑い者」にならないためにも。
2022/09/11
-K.H-