どの新聞小説も連載当初はあまり面白くない。
ストーリーの山場がないし、どのように展開していくのか見通せない。
兎に角我慢してひたすら読み続けるしかなく、読んでいくうちに展開の方向性が分かってくる。
そのうちあれこれ自分なりの展開を予想して、期待感を持って新聞を開くようになる。
連載当初「かたばみ」の作家 木内昇の名前を見て男性と思っていた。
男性にしては心理描写が細かく、初めて聞く作家だったので調べてみたら、女性で「昇=のぼり」とあった。
私は勝手に名前で「昇=のぼる」と思っていたので驚いた。
2011年の直木賞作家だった。
連載途中から、東京新聞の読者の声に「かたばみ」感想が載り、終わるまでに数回も紹介されていた。
多くは、戦時中の暮らしに思いを寄せる投稿だったが、挿絵が素晴らしく、切り取っているというのがあった。
確かに素晴らしい絵と思った。
新聞小説に欠かせないものはまさしく挿絵で、挿し読み手の想像を限りなく膨らませる。


そんな訳で私も20回ほど切り抜いた。
挿し絵作家は「伊波(いは)二郎」この方も著名な方でした。
読みながら、翌日はどんな展開になるのか勝手に想像して新聞を開くと、「えっそうなの?」こんな展開になるのと驚く。
プロの作家はレベルが違うとつい感心してしまう。
清太に実子でないことを打ち明ける場面や、権蔵と悌子を実の親と信じていた清太の揺れ動く心境。
清太の親になろうとして努力する悌子と権蔵の葛藤と、それを取り巻く家族一人一人の心の動きが何よりも良い。
つかず離れず見守っていくのも良い。
悌子が勢い余って清太を引き取るが、その時の権蔵の心理描写がとにかく面白い。
悌子は後先考えずに行動し後で悩むが、権蔵は先に心の中で葛藤して自分なりの結論は出しているのだが、その場の雰囲気に押されて違ったことを言ってしまい、またあれこれと悩んでしまう。
しかし、権蔵は「なるようにしかならない」と云う生き方から目覚めて、清太の本当の父親としての道を歩み努力する。それが読み手の気持ちを引き付ける。

最終回は運動音痴の権蔵が悌子に投げ方を教わり、清太とキャッチボールをする。
清太は権蔵の投げる山なりのボール受け止め、強い球を投げ返して再び野球を頑張ろうと決意する。
この最終回を私は悌子が清太とキャッチボールをして、かつて清一と悌子がキャッチボールをした場面にオーバーラップするかと思っていたが予想が外れてしまった。
やはり、権蔵と清太のキャッチボールで終わるのが良い。
ともかく、ワクワクドキドキして読んでいた。
来年KADOKAWAから単行本の予定と云う。
<デラシネ>