何とか旅行に行けて満足した彼は、今度は野球部の夏休み活動の練習に参加するつもりで張り切っていた。
ところが、友達の親から情報が入り、未だ宿題の終わっていない者は練習に参加できないというのだ。
彼は焦ったようだが、今さら頑張った所で終わるような量ではない様子だった。。
私も気になったので覗いてみたが、数教科から宿題があり、その大部分が終わっておらず、特に面倒な論文が全く手つかずの状態だった。
彼は作文が苦手で小学校時代も感想文は最後の最後まで残っていたものだ・・・。
この論文の宿題は国語科からのものらしく、読書か社会問題のいずれかを選択して作文を書くというもので、彼は迷わず後者を選んだようだ。
「社会問題の中で環境問題を書く」と言う彼は、「CO₂の増加による地球温暖化の問題について書く」つもりのようだった。
担任が社会科担当なのでそちらを選んだというより、要するに読書をしてから感想文を書くというのは二つのことをするから面倒だと判断からだ。
しかし、翌日の部活までに書き終わるはずもなく、その日は構想をメモする程度で終わった。
さて翌日、当然朝から宿題をするのかと思っていたら、何故か早朝練習のために学校へ出掛けて行った。
宿題が終わっていないから練習が出来ないはずなのに、何故か・・・・・。
その理由が娘(彼の母)から聞いて分かった。
野球部の顧問は同時に彼の担任でもあり、心配して昨夜電話があったというのだ。
「お子さん、大丈夫ですか? 勉強していますか?」という内容だったそうだが、その中で部活の話も出たに違いない。
はたして彼は、学校へ行ったもののトンボ返りで自宅に戻り、学習用具をもって再び学校へ向かった。
後で聞いてみたところ、宿題が終わっていない者は彼一人ではなく一年生の大部分が終わっておらず、バックネット裏に机を並べて勉強したというのだ。
つまりは、上級生の練習をネット裏から見ながらの宿題勉強をしていたわけである。
因みに上級生は全員が宿題は済んでいたようで、練習に気合が入っていたようだ。
推測するに、昨年苦い経験をした上級生は分かっているから今年は早めに宿題を終わらせたに違いない。
練習に参加させないというのはこういうことなのか・・・。
わざわざ校舎から机と椅子を搬出してネット裏に並べるとは、手間のかかる面倒なことなのによくやるもんだと思う。
まさしく「文武両道」を目指しているのだろうか・・・。
親にしてみれば、部活のみならず夏の宿題まで気にかけてくれるなんて、何と有難いことなのか。
公教育の場でスポーツから夏の学習まで面倒を見てくれるなんて、欧米では信じられないことに違いない。
それにしても、中学の先生は大変だな~とつくづく思う。
夏季休業中にもかかわらず、早朝から出勤して生徒の指導をするなんて・・・。
これが常態化しているのが日本の学校の現実なのだと思うと、OBとして何とも言い切れない申し訳なさを感じる。
だからこそ、この中学部活の在り方を放置しておくべきではない。
おそらく孫の担任にしても一人ではどうにもならないジレンマを抱えているに違いない。
機会を見つけて話を聞いてみたい欲求にかられる。
ところがところが、例の作文なのだが、よくよく見てみたら、国語科宿題の要項には「社会を明るくする運動」という文言が書かれていた。
これは例年、法務省が提唱しているもので、「全ての国民が、犯罪や非行の防止と立ち直りについて理解を深め、それぞれの立場において力を合わせ、明るい地域社会を築くための全国的な運動」
という岸田総理の談話まで発表されていた。
彼が書こうとしている環境問題も何とかこじつければ要項との接点もあるだろうが、当局側のねらいとするものには合致していない。
おそらく国語科の教員は、この運動が地教委あたりに下りてきたものを請負で「作文に書かせる」という宿題にしたのだろう。
夏休みに「宿題」が必要だという流れが一般的になってしまったのか、こうした外部からの要請やら企画を利用して宿題化している学校がほとんどなのだろう。
実に情けないというか、現場の力量低下を思わされる現象だ。
ここでは彼が書いた作文は敢えて紹介しないが、自宅の太陽光発電のメリットや脱化石燃料の自動車のことが書かれていたが、私がちょっとお節介に「助言」した脱原発に関してはスルーされてしまった。
脱炭素の為には活用するとする原発の存在(新設・再稼働)は、平和のために核兵器を維持するという論理と重なる人類にとって極めて危険な考え方である。
ロシアによるウクライナ侵攻に関わる攻防戦を見るまでもなく、エネルギー活用とは言え、核の存在は人類の存在を根本から揺るがす絶対悪とも言えるのではないか。
それこそ「社会を明るくする運動」を環境問題で論述するには、CO₂削減を自然エネルギーの活用にとどめるのではなく、脱原発・反核に言及することが必須なのだ。
野球とは少々離れてしまったが、とりあえずは形だけでも宿題をやり終わった彼は、再び野球三昧に浸っていった。
部活が終わって少しでも時間が取れた際には、例によってお隣の下級生の野球少年と「野球遊び」をするのである。
そう! 遊びなんだよ、野球は・・・。

部活も勉強も両立させようとして、懸命に子どもたちに指導する先生たちの本音は何なのかは分からないが、最終的に実行して成長するのは子ども自身である。
これからも孫と野球は切り離すことなくしばらくは続くだろうが、野球を楽しみながらも社会を見る目も育っていってほしいと願うものである。
-S.S-