2022年元旦の新聞によると、日本の今年の新成人は120万人で過去最低を記録したという。
因みに「団塊の世代」末期に生まれた私たちが成人した際には約250万人もいたようだ。
(現在は約180万人程に減少しているが…)
さらに驚くことに2020年に生まれた子どもの数は約84万人で5年連続で低下しているというのだ。
今に始まったことではないが、日本の少子化による人口減少は止まることなく進行している。
しかし、他方で高齢化は進み、65歳以上が総人口に占める割合は28.7%となり世界トップクラスの高齢者の国になってしまった。
尚、反対に14歳以下の年少者の割合は12.0%しかなくこれも世界で最も低いレベルとなったという。
これを称して「少子高齢化」なる言葉が定着してしまった。
こうした状態は政治レベルでも懸案事項であったはずだが、歴代の政府は有効な政策が打ち出せず今日に至っている。
かつての民主党政権時にはチルドレンファーストという概念で子育て環境の改善に着手し、その後も「子ども家庭省」設置を訴えてきた。
そして今、立憲民主党は新たに「子ども省」設置を党是に掲げている。
それは、「子ども総合基本法」の制定を提案する中から出てきたものとも言える。
その根底には「子どもの権利条約」の精神が位置づいている点は評価したい。
敢えて今、政党の話に踏み込んだが、それは現政権が打ち出した子育て支援政策として「こども家庭庁」なる名称で新たな庁を作ることになった経過に触れたいからだ。
野党の立憲も当初は「子ども家庭省」と「家庭」なる文言を入れていたし、与党の公明党も先の衆議院選挙で「こども家庭庁」なる表現をしてきた。
与党自民党の中でも「こども庁」派と「こども家庭庁」派が存在したというから単に政党で分けるわけにはいかないが、要は「家庭」なる文言に込められた意味を吟味する必要がある。
単に予算を支出する先の場としての家庭なら一般的に使われる場面が少なくないが、子どもは家庭で育てられる存在だという点を強調することから発する意味合いはかなり特別な価値観が付随してくる。
単純に分類するなら、子育てを「家庭中心」に置くか「社会の中」とするかである。
それは、どちらも必要なのは自明の理ではあるが、「家庭」をベースに置いた考え方には伝統的な家族観や自己責任論、はたまた性別役割分業論まで関係してくるジェンダーの問題が絡んでくる。
<すばる>