~子どもたちと共に学べた3日間~

 これまで何度か広島を訪れたことがあったが、原爆ドームや広島平和記念資料館を見学するだけだった。
戦後71年、被爆者の体験を聞くことができる機会はもうないかもしれない。
ぜひ被爆者が生きているうちに直接お話を伺いたいと思い、今回初めて参加した。



 朴さんの「学校が唯一の情報源だった」というお話が、印象に残った。
江戸川で、元教員の北村小夜さんからも、学校を通して軍国少女になっていったという話を伺ったことがある。

朴さんは日本で軍国主義教育を受け、「日本名にすると日本人になれる」と思い、親に「早く(日本名に)変えて」と頼んだそうである。
「母はなかなか変えてくれなかった」とも話されていた。

廃品回収で鍋・釜・鉄などを学校に持っていかなくてはならなくなった時、家には持っていくものがなかったが、持っていかないと「非国民」と言われると思って、朝鮮半島から持ってきた大事にしていた真鍮でできた仏壇を「持っていかせて」とお母さんに泣いて頼んだそうである。

お母さんはどんな思いだったのだろうと想像した。
なぜ、遠い異国の地から朴さんのご両親は日本に来なければならなかったのか、学び伝えていかないといけない。
日本が朝鮮の人たちにしたことの責任、また、教師の責任の重さを感じた。


江種さんは、「命ある限り話さないといけない」という強い思いで、放射能被害の恐ろしさや原爆投下後に見たありのままの広島の惨状を身振り手振りや資料を交えて話してくださった。


むつみ園では、川野さんから貴重な被爆体験を伺った。
お別れの時もずっと手を振ってくださり、羽が動く折り鶴を頂いた。

慰霊式をやっている時、一般の方々も立ち止まり、子どもたちの言葉に耳を傾け、一緒に参加してくれていた。



「戦争に正義はない。戦争は勝っても負けても人の殺し合い。
核、原爆を兵器として使ってはならない」(朴さん)

「広島の町は屍の町。
屍の町の上に現代都市は生まれている。
核兵器を一発たりともおいてはならない。
ヒロシマの心をみなさんに届けたい」(江種さん)

「今からの日本がどうなるか心配。
おろかな戦争を二度としないためにどうしたらいいか真剣に考えてもらいたい」(岡さん)
という被爆者の言葉。


広島で起きたことは遠い過去の話ではない。
被爆者の思いを受けとめ、引き継いでいきたい。



 私は、「ヒロシマの心」とは何なのか、被爆者のお話を聞き、初めて深く知ることができたと思う。
戦争を体験した人でしか語れないことを、思いをもって語ってくださったことに心から感謝したい。
「ヒロシマの心」を引き継ごうとする多くの人たちの思いを感じられた3日間だった。




広島平和記念資料館見学、平和公園やその周辺にある碑めぐりもしました。




平和公園内に江戸川区原爆被害者の会が植えた記念植樹のクスノキがありました。



<行ってよかった>