① 好きで始めた競技なのに・・・。
報道の裏に透けて見えるのは、「個人を称える」「恩師や家族の支え」「地域の支援・応援」そして、「国民=日本中」が応援していると報道する。
そして、被災地や被災者に「勇気を」とか、「感動を」とか、試合に臨む前から選手に過大な期待とプレッシャーをかける。
選手にとってオリンピック出場は、「強くなりたい」「上手くなりたい」と、世界をめざして努力した結果である。
あくまでも個人で競技を競うために出場している。
競技を見た人が何を感じようが自由である。
しかし、選手は国民に勇気や感動を与えるために、競技をしている訳ではない。
まして、国を代表して戦っているのでもない。
それを個人から、家族→地域→日本国民の為にと英雄扱いして、メダル獲得をけしかける。
選手に過大な期待をかけて、ナショナリズムを殊更鼓舞する愚かしさは、社会の成熟を阻む元凶になる。
メディアの過大なあおりや政治家達の虚言に惑わされず、競技を楽しむのも良識ある国民である。
② 日の丸に恥ずかしい団長はだれ・・・。
自民党議員でもある橋本聖子団長は、オリンピックに何度も出場したスピードスケート選手だった。
力が衰え代表に漏れると、自転車競技にまで出て「オリンピックおたく」と揶揄された張本人だ。
出発前に「金メダル5個以上を含む10個以上を取って帰る」「選手にはプレッシャーを与えたい。
日の丸に恥ずかしくない代表になって貰いたい」 と言い放った。
オリンピック精神から逸脱した、的外れな発言である。
最初からメダルを期待されていた選手は、試合前から目に見えない理不尽な敵と戦うことになった。浅田選手から笑顔が消えるのも当然である。
メダルを取れない選手は恥ずかしい代表なのか。
最も恥ずべきは団長自らではないのか。
③ ここにもいた 品性の乏しい組織委員長
東京オリンピック組織委員長 森喜朗元首相はのたまう。
「浅田は見事にひっくり返った。大事な時には必ず転ぶ。」
「負けると分かっていた団体戦に出して、恥をかかせることは無かった。」
と発言した。
まだ、フリーの演技が残っているさなかの発言である。
節操の無さと品性の乏しさを感じる。
16位の浅田には、酷い仕打ちとしか思えないが、彼にとっての選手は、日の丸の為にメダルを稼ぐ単なる駒なのだろう。
かつてメダルの重圧で自殺した選手がいた。
1964年の東京オリンピックでマラソン三位だった円谷である。
60代以上の人々の心には、今でも強く焼き付いている。
彼の悲劇は国家を背負わされた犠牲者だった。
④ オリンピック精神は国旗と国歌の廃止にある
多くの人々は、オリンピック選手が「国家と国旗の為でなく、自分の為に戦っている」という事を知ることである。
60年代IOCブランデージ会長は、国旗と国歌の使用廃止を総会で提案したが、三分の二の支持が得られず実現しなかったという。
オリンピックの根本理念がそこにある、とスポーツライター小川勝氏は東京新聞で述べていた。
最後に、東京オリンピック誘致は、「原発の稼働なしで実施できる」「福島の汚染水は完全にコントロールされている」が条件だった。
この条件はクリアしたと誰が保証できるのだろうか。
<F>
報道の裏に透けて見えるのは、「個人を称える」「恩師や家族の支え」「地域の支援・応援」そして、「国民=日本中」が応援していると報道する。
そして、被災地や被災者に「勇気を」とか、「感動を」とか、試合に臨む前から選手に過大な期待とプレッシャーをかける。
選手にとってオリンピック出場は、「強くなりたい」「上手くなりたい」と、世界をめざして努力した結果である。
あくまでも個人で競技を競うために出場している。
競技を見た人が何を感じようが自由である。
しかし、選手は国民に勇気や感動を与えるために、競技をしている訳ではない。
まして、国を代表して戦っているのでもない。
それを個人から、家族→地域→日本国民の為にと英雄扱いして、メダル獲得をけしかける。
選手に過大な期待をかけて、ナショナリズムを殊更鼓舞する愚かしさは、社会の成熟を阻む元凶になる。
メディアの過大なあおりや政治家達の虚言に惑わされず、競技を楽しむのも良識ある国民である。
② 日の丸に恥ずかしい団長はだれ・・・。
自民党議員でもある橋本聖子団長は、オリンピックに何度も出場したスピードスケート選手だった。
力が衰え代表に漏れると、自転車競技にまで出て「オリンピックおたく」と揶揄された張本人だ。
出発前に「金メダル5個以上を含む10個以上を取って帰る」「選手にはプレッシャーを与えたい。
日の丸に恥ずかしくない代表になって貰いたい」 と言い放った。
オリンピック精神から逸脱した、的外れな発言である。
最初からメダルを期待されていた選手は、試合前から目に見えない理不尽な敵と戦うことになった。浅田選手から笑顔が消えるのも当然である。
メダルを取れない選手は恥ずかしい代表なのか。
最も恥ずべきは団長自らではないのか。
③ ここにもいた 品性の乏しい組織委員長
東京オリンピック組織委員長 森喜朗元首相はのたまう。
「浅田は見事にひっくり返った。大事な時には必ず転ぶ。」
「負けると分かっていた団体戦に出して、恥をかかせることは無かった。」
と発言した。
まだ、フリーの演技が残っているさなかの発言である。
節操の無さと品性の乏しさを感じる。
16位の浅田には、酷い仕打ちとしか思えないが、彼にとっての選手は、日の丸の為にメダルを稼ぐ単なる駒なのだろう。
かつてメダルの重圧で自殺した選手がいた。
1964年の東京オリンピックでマラソン三位だった円谷である。
60代以上の人々の心には、今でも強く焼き付いている。
彼の悲劇は国家を背負わされた犠牲者だった。
④ オリンピック精神は国旗と国歌の廃止にある
多くの人々は、オリンピック選手が「国家と国旗の為でなく、自分の為に戦っている」という事を知ることである。
60年代IOCブランデージ会長は、国旗と国歌の使用廃止を総会で提案したが、三分の二の支持が得られず実現しなかったという。
オリンピックの根本理念がそこにある、とスポーツライター小川勝氏は東京新聞で述べていた。
最後に、東京オリンピック誘致は、「原発の稼働なしで実施できる」「福島の汚染水は完全にコントロールされている」が条件だった。
この条件はクリアしたと誰が保証できるのだろうか。
<F>