野田政権が崩壊した今でも、私が通勤で利用する駅頭で運動員が時々小さいビラを配っている。
野田氏が総理の時は受け取る気にもなれなかったビラだ。
私ばかりではない。
通勤者のほとんどの人間はビラを受け取ることはなかったし、今でも同様である。

しかし、最近、私は受け取ることにした。
彼が今、何を考えているか知りたかったからだ。
戦後3番目に若い総理大臣だったなどと自らを誇っている彼だが、彼のしたことが実は安倍政権の下地づくりだったことが分かった。

彼のB5版ビラは週一回のペースで出されているが、それには一回ごとに標題が付いている。
例えば、12月8日付では「たたずまい」とあり、10月にアメリカで講演した「社会保障と税の一体改革をやり遂げたこと」「35年振りに武器輸出三原則を見直したこと」が高い評価を得ていることを誇っている。
また、読売新聞でインタビュー記事が17回連載され、その中で消費税引き上げと尖閣諸島国有化に取り組んだことに反響があり好評だったことを述べている。
「国内より国外、党内より党外の方が評価が高いとは…。この皮肉な傾向は、私の政治家としての立ち位置の難しさを象徴しています」とも述べている。
アメリカのために働いたのだから評価されて然るべきだろう。
最終的に民主党をダメにしたのだから、党内の評価は高くはないのも当然だ。

12月15日付では「踏み台」と名付け、現在の阿倍政権は野田政権を踏み台にして成り立っていると自負している。
曰く、「世の中はアベノミクス一色に染まりましたが、それは野田政権が社会保障と税の一体改革を通じ、消費税引き上げに対処し財政面の道筋をつけたからでしょう。阿倍政権が対処した最重要な通商問題はTPPでしたが、その対応に舵をきったのは私の政権でした。」

このように自らの政権時代の実績を誇り、それが現在の阿倍政権の基礎をなすものになっていることを堂々と述べているのだ。
要するに、悪徳阿倍内閣の政治は野田首相が行なおうとしていたものだったのだ。
つまり、野田政権も阿倍政権もほとんどの同じもので、ちょっとだけやり方が違うだけにすぎないと述べているわけだ。

そう言えば、原発ゼロ政策が見直されても、秘密保護法が成立されようとしていても、集団的自衛権で解釈改憲されようとしても野田氏の動きは鈍い。
もちろん、それらに言及したビラは見ることがない。

私たちは脱原発デモを地元で行う中で、選挙で野田氏を落とすことを訴えた。
ところが、駅頭であれだけ人気のない彼を有権者は当選させてしまった。
いったい誰が投票したのか…。
そのくらい彼の政策も人気も見るべきものがないのである。

良識ある多くの人たちが、自民独裁からの政権交代に期待し支援していたにもかかわらず、最後にこんなダメな首相が現れることによって終わってしまった。

阿倍内閣は打倒しなければならないが、前政権の野田氏も五十歩百歩であったことをあらためて思い知ったのである。


<西>