日本版NSC(国家安全保障会議)が動き始めた。

そもそも、国家安全保障会議などという名称自体が民より国を優先させた考え方だ。
古くは日米安全保障条約という、今でも沖縄をはじめとしてこの狭い日本にアメリカ軍の基地が存在する根拠ともなったものが存在している。

それ故、安全保障(安保)という言葉を耳にすると身の安全より不安を感じるようになってしまった。
しかし、私のこの感覚は間違っていないようだ。

さて、安倍首相の永年の願いであった戦争政策は、今回、国家安全保障戦略と中期防衛力整備計画の決定で一歩前へ踏み出した。

ざっと見ても、あまりに露骨な国家優先・戦争志向政策が見て取れる。
即ち
・積極的平和主義→自衛隊の海外派遣を拡大
・武器輸出三原則の見直し→輸出解禁
・離島奪還を担う部隊創設→尖閣問題等を利用(中国・朝鮮の対応を逆手に活用)
・統合機動防衛力整備→2018年度までにオスプレイ17機、水陸両用車52両、無人偵察機3機整備
・社会的基盤整備→愛国心の明記
・敵基地攻撃能力向上→弾道ミサイル対処能力の総合的な向上を図る

中期防衛計画の予算総額は2回連続減額されてきたにもかかわらず、今回は前回より1兆2千億円増額した。
何と、総額は24兆6700億円にも膨れ上がったのである。
国民には財政難だからと我慢を強いながら、国の安全保障政策には惜しみなく金を注ぎ込むのだ。
名称のみならず、安倍政権のこの政策は、民を軽んじ国家を優先するものであることが国家予算の面からも明確になったわけだ。

そして、先に強権的に成立させた特定秘密保護法とあいまって、中身を国民に知らせることなく権力の思うがままに進められようとしているのだ。
これを許したら、あの戦争の二の舞どころではなく、「豊かさを装った恐怖政治」が日常化するだろう。
もちろん、その中には実際の戦争も容易に組み込まれるに違いない。

この国の有権者の多くは目先の金に最も関心が高いようだが、この戦争政策こそ金を喰い国民の命をも喰ってしまうものなのだ。

解散でもないかぎり3年間はこの政権のままだ。
この間に安倍の陰謀はさらに企てられるだろう。
当然、集団的自衛権は憲法改悪を進める過程で解釈改憲される可能性もある。

反対の世論を一層強めなければならない。
ロビー活動も含めたあらゆる取り組みを模索しよう。

相手が国家戦略会議で臨むなら、私たちは民の戦略会議を結集して国家に立ち向かいたいものだ。



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