「先生、5時間目空いていますか?」
と、突然声を掛けてきたのは、新採の男子教員。
「あっ、空いてるけど・・・」
と、応える。
「すいません、ぼく午後から出張なので補教お願いできますか・・・」
と、ストレートに言われてしまった。
予め出張が分かっていれば、補教係に所定の用紙に書いて提出する段取りなのだが、忘れていたのか私に頼めばよいと思ったのか知らないが、若者に頼まれて断るわけにもいかないので引き受けた。
こんなことは、しばしばある。
「突然出張しなければならなくなりました。給食と掃除を見ていただけませんか・・・」
と、6年目の男子教員。
「うん、いいけど・・・」
「ついでと言っちゃ何ですけど、そのまま5時間目なんてどうですか?」
「えっ、それは勘弁してよ(笑)」
こんな感じのやりとりである。
おそらく現役の時だったら、専科的立場の人間にこんな頼み方をする教員がいたら許しておくことはなかっただろう。
基本的に小学校の担任は、「自分は忙しく専科は暇」という概念を持つ人間が多い。
だから、午後の授業枠が無いこともある専科に気楽に頼めるのだと思う。
持ち授業時数だけで仕事の軽重をあるいは負担度合いを論じることはできないが、昔に比べたら今の教員(特に学級担任)は持ち時間が少ない。
私の職場で言うと、全て学級担任(学担)だけで授業する学年はなく、何らかの形で専科や私のような者が授業に入っている。
ある主幹のクラスなどは、週9時間も学担以外が授業をしている。
それに比べて専科は以前に増して負担が増加している。
これは、指導要領が変わって音楽や図工の年間授業時数が減らされたことに端を発して「持ち時間の平等化?」等という訳の分からぬ理屈でなされたものだ。
「空き時間」が増えた学担はそれだけ教材研究する時間が増えて授業が充実するはずだが、そんな兆しはあまり見えない。
その時間を利用して自分が担当する分掌を精力的に行い、結果、子どもや同僚教員を忙しくしている。
あるいは、授業に直接関係のない学級事務や宿題点検を行っている。
これは「当然でしょう!」という代物ではなく、むしろやらない方が良い仕事なのだ。
まっ、今の教員たちは時間の使い方が分かっていない。
何故、子どもたちの力が伸びないのか?
自分の授業のどこがダメなのか?
この社会にあって、子どもや自分はどうあるべきなのか?
・・・・・
そのためには、つまらぬ学校の仕事なぞ一時的にも放り投げて書物の一冊でも読めばよいのだ。
彼らがその気になれば、私は喜んで彼らのクラスを代わりに授業(補教)しよう。
しかし、気になるのはそれこそ持ち時間数である。
非常勤教員が「週11時間」を基準にすることを知っている教員はいるのだろうか?
副校長も詳細は知らないから無理もないが、ここらで全体に明らかにした方がよいのかもしれない。
(校長や専科、私と関わりのあるクラス教員はわかっている。)
あまり大々的に言わなかったのは、(言ってしまうと)若い連中が遠慮して何も言わなくなってしまっても困るなと考えたからである。
何しろ自分の子どもより若い人たちだけに、ちょっと真面目に話しただけで体も心も硬直させてしまう恐れがあるからだ。
彼らを変えるには、まず彼らとフランクな人間関係を築かなければならない。
そのためには、多少の無理も聞いてやらなければならない。
突然の補教を頼んできた彼は、どんな初任者研修をしてきたのだろうか?
私が代わりに子どもたちの相手をしている時、彼は有意義な時間を送れただろうか?
「授業時数の確保」をうるさく言う当局が、その授業を放ってまで実施する研修って一体どんな重要なものなのだろうか?
当局批判は別途繰り返したいが、初任研に参加した彼自身が私の思いを知る由はないだろう。
だから私が、折を見てさりげなく話していくしかない。
彼だけではない、若い教員たちに少しでも接してコミュニケーションを交わしていこうと思う。
<やったるで>