教育行政からの思想信条の統制・圧殺は非常に多い。

今年は高校の教科書採択を巡り、東京都と神奈川県教育委員会が、「国旗」と「国歌」について「一部の自治体で強制があった」と記述した実教出版の歴史教科書を選ばないように強要した。
大阪府も同様の見解をしめした。

この一文だけで「採択するな」というのであるから横暴そのものである。
神奈川県教委は28校の校長に「実教出版の教科書を選んだ校名が明らかになると、様々な団体が来て混乱する可能性もある」と伝えたという。
これは「選ぶな」という恐喝行為と同じではないのか。
事実、東京・神奈川の採択はゼロとなった。

それとは対照的に、埼玉県教委は8校からの要請を認め採択した。

ところが、県議会文教委員会は、9月13日に8校の校長を呼び出し選定理由など聞き出した。
そして、県教育委員会に再審査を求める決議を可決した。
19日の県教育委員会では、再審査しないことを確認し、その後、女性の清水委員長は「再審査の決議に責任を感じ」辞任した。

清水氏は主婦で、中学校の学校評議委員を経て県教育委員になったそうだが、「当たり前のこと」が通らないことへの抗議と思われる。

教科書採択では、小学校でも中学校でも不当な採択が行われている。
東京でも学校現場からの意見が認められて、採択が決まるところは減ってきている。
採択する権限をもつ教育委員は僅か5人ほどで、学校現場の実情に精通していなくても、自治体の首長から恣意的に選ばれることも多い。

かつて「日本中の学校に国旗を掲げ、国歌を歌わせることが私の仕事」といい、天皇に「強制になるということではないことが望ましい」と諫められた米長邦雄はその典型的な人物であった。
その2004年に都教委は、「君が代」で起立しなかった教職員250人を処分した。
それ以降、毎年のように都教委は多くの処分を繰り返している。
減給とか停職、再雇用の取り消しとか、「再発防止研修」では人権侵害になるようなことさえも行っている。

教職員の「内面の自由」を認めないだけでなく、「研修」と称してその人の生き方や考え方まで変えさせようとしている。
恐ろしい事である。

処分された教職員の多くは都教委を訴え、処分取り消しの裁判を今でも継続している。
「君が代不起立」の訴訟裁判で、一ヶ月の停職処分を受けた女性教員に対し、今年7月最高裁が停職は重すぎるとして処分を取り消し、東京都に30万円の賠償を命じた。
画期的なことだが、一般市民が「思想・信条の自由」という「当たり前のことを認めてもらうのに」、最高裁まで闘わなければならないという司法の反動化を恨みたい。