JR北海道の事故はここ数年しばしば発生している。
特に2011年に石勝線のトンネル内で脱線車両火災事故を引き起こして以来、事故は急増した。
そのほとんどが車両事故だという。
北海道を鉄道で旅行したことのある人はご存知だと思うが、電化されてない路線が多くディーゼル車両で運行されている。
車両火災を引き起こしたのもほとんどがディーゼル車である。
私の子ども時代はまだ蒸気機関車が健在で、その雄姿は未だに忘れることができないが、同時に走っていたのが気動車と呼んでいたディーゼル車だ。
これは各車両にディーゼルエンジンが付いていて、大きく独特な音を響かせながら走っていた。
これを聞いて、子ども心にもこの車輌の脆弱さを感じていたものだ。
電化前の国鉄は、日本中どこでもSLか気動車だったのである。
これは最近あらためて知ったことだが、国鉄の分割民営化後に各鉄道会社は不採算路線を廃止し残す路線は電化を進めた。
しかし、JR北海道は営業路線を大きく減らし、今では国鉄時代のほぼ半分ほどになってしまった。
それでも他会社に比べ利用客の割には営業距離が圧倒的に長い。
おまけに北海道という厳寒の地、零下何十度にもなる冬に対応した対策も求められる。
これだけで、分割民営化が北海道の国鉄にとっては厳しいものだったことが容易に想像できる。
利益を出さなければならない会社は大幅な合理化を迫られたのである。
現に私の友人は北海道内の国鉄で働いていたが、強制的に千葉の方へ配置転換された。
これは分割民営化に反対していた国鉄労働組合(国労)等への仕打ちであり、決して忘れることができない。
まさしく国を挙げての不当労働行為であり、労働者に対する差別分断攻撃であった。
さて、北海道にも2016年から新幹線が走り始める。
新青森から青函トンネルを経て新函館までが開通する。
これはある見方からすると、画期的なことであるかもしれない。
1954年9月26日、ちょうど今から59年前のこと、青函連絡船の洞爺丸が折からの台風15号(後に洞爺丸台風と名付けられる。)によって転覆し、1156人の死者・行方不明者を出したという記録がある。
これは日本における最大の海難事故である。
この事故以来、本州と北海道を安全なトンネルで結ぶことが夢とされてきた。
そして、1988年についに青函トンネルが開通した。
このトンネルは新幹線規格で設計されており、いよいよ夢が実現する・・・・という見方である。
しかし、この北海道新幹線の開通による営業の開始は、JR北海道に大きな負担を課すことにもなる。
最終的には一極集中都市である札幌まで延長させる計画だが、それまでは新函館と札幌を結ぶ最新型の在来線特急を走らせなければならない。
それには大きな経費がかかる。
だから、現在走っている車両を何とか修理しながらでも維持しなければならない。
ディーゼル車両は20年が耐用年数とも言われているが、既に30年を越した車両もかなり存在しているらしい。
おまけに厳寒の地であるため、熱く熱された内燃機関部分が急速冷却されることを繰り返す。
これが金属に与えるストレスを増すというのだ。
この間発生した火災事故や噴煙事故は、金属疲労も一原因ではないかと言われている。
それと、忘れてはならないのは車両整備の人員と技術である。
合理化により新規採用を抑えたため、先輩からの技術的な伝授をされた労働者が極端に少ないというのだ。
車両だけではない。
線路やトンネル等の施設の保守管理の仕事も人員不足や技術未熟さが影響しているかもしれない。
今日のニュースで報じられた線路の幅が間違っていながら放置されていた問題等、合理化に影響される事故が相次いでいる。
北海道は、日本でも唯一広く美しい自然が残された貴重な国土だ。
人口は少なく、札幌に一極集中しているというような課題はあるが、その地で営々と生きる人々が確実に存在している。
そして、私もその一人だが、北海道の素晴らしさに惹かれて旅する人々は多い。
それらのために鉄道は必要だ。
北海道には鉄道が似合う。
それはマニアならずとも、一度でも北海道を旅すると気づくことだ。
そのために、北海道こそかつての国鉄を復活させるべきだ。
赤字だから・・・という理由はいらない。
儲ける必要はない。
国鉄を復活させて、国の責任と経費でこの地の足と風景を守ってほしい。
ヨーロッパをはじめ諸外国は、未だに何らかの形で国鉄が走っているのである。
一度廃止した国鉄を、北海道において新しい形で復活させる。
この試みが成功したら、日本は世界から注目されるだろう。
なぜなら、北海道内外から大きな夢が託され検討され尽くした結果、生まれてきたものだから・・・・・。
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