昭和天皇が喀血し闘病を始めた1988年(昭和63年)、「自粛」という言葉や行為が日本中を席捲した。
天皇が「闘病している」のだから、「年賀状を出すのは止めよう」とか、「派手なことは慎もう」「忘年会も止める控えめ」とか「結婚式も地味に」など様々な自粛という現象が国民の中に広がっていった。
TV-CMや番組などでは、政府からの要請や規制もないのに、「元気」という言葉や「祝賀」活動など自主規制するようになった。
翌年の1月7日に昭和天皇が崩御(亡くなる)するが、自粛はこの年の9月末まで続けられた。
最近では東日本大震災と原発事故による「自粛」もあった。
被災者の気持ちや境遇を考えれば「お祭り」や「花火大会」は慎もうということで、この年は「隅田川花火大会」や「浅草サンバカーニバル」など、各地のイベント中止など全国的に広がっていった。
また、TV放送では「バラェティ番組」の中止・延期も多くあった。
TV-CMも自粛で、代わりに「ACジャパン」からの「節電」などのメッセージが、繰り返ししつこいほど放映された。
まだ記憶にあると思う。
ここで、自粛とはどんな意味を持つのか。
「何もしていないのに、何かをしたようなつもりになれる」ということのようだ。
それは同時に「自粛の他人への強要」ということが、加味されることが大きな特徴と云える。
「自粛」は自ら進んで行動を慎むことだから、本来他人に「強要」すべきことではないのだが、昨今の日本はそうはなっていない。
それは目に見えない圧力、「同調圧力」というものが蔓延っているからだ。
「同調圧力」とは、少数意見を持つ者に多数意見に従うよう圧力をかけることだが、物理的に危害を加える、恥の意識を持たせる、風評被害を与えるなど社会的排除を行い暗黙の同意を求める場合もあると云う。
これと同じことが無かっただろうか。ちょっと前までは「原発は安くて安全」神話がはびこり、原発反対というと「代替エネルギー」はどうするのか等の反撃が国民の中から多数あった。
最近ではどうだろうか。
「オリンピックに反対」の声に、疑問を呈したり、少し眉を潜める気持ちを持つ人は居ないだろうか。
思っても云えない雰囲気は無いだろうか。
ちなみに、「自粛」という言葉や概念は、外国では無いそうである。
諸外国では個人の活動・行動は個人が考え、個人が責任を持つ問題であり、日本のようにみんなで行動を制限することは殆んど例が無いという。
日本人は自粛と同調圧力いう言葉と行為に暗黙のうちに従ってしまう遺伝子があるのだろうか。
自粛と異論を許さない同調圧力が独り歩きして、国民の意識や思考・物の見方考え方まで束縛しているようにも思える。
ところで、自粛的な発想や行為と同調圧力は、教育現場で最も多いのでは無いのか。
そんな気がする。