もうすぐアルゼンチン、ブエノスアイレスにおいて開かれるオリンピックを決める会議が開かれます。

「平和の祭典」である「オリンピック」。
これを「今の日本においてやろう」と考えること自体、全くの間違いと言わざるを得ません。
というのも次のような理由からです。

近々起こるであろうと言われる東京直下型地震の後ならいざ知らず・・・
世界の東京のために是非とも復興を願って行うという大義名分があるわけではありません。

大地震が起こったのは、宮城、岩手、福島東岸の海底なのです。
少しずつではありますが復興に向かって歩みを進めているところではあります。

しかし、フクシマにおいては一向に進まないのです。
復興が・・・。
なぜなのでしょうか?

そうです。
その通りです。
福島第一原子力発電所の事故によって1号機から4号機まで廃炉にしなければならない状態に陥ったからです。

そんな中、一時も休むことなく水を注入し、冷やし続けなければならないという状態が今なお進行中なのです。
明らかになった高度汚染水の海への流出。

50年前水俣でやったことをまたもや平気で見逃そうとする政府自民党。
海外からの指摘を受けてようやく「国の責任で取り組みます」と。
水俣はもう二度と繰り返してはならないのです。
でも未だに主体性など持ち合わせてはいません、残念なことに・・・

今回は、オリンピック招致に不利にならないがために、「東京は安全だし、フクシマは日本政府が責任を持って取り組んでいくから大丈夫」という世界に対する単なる見せかけをしたに過ぎないのです。
はっきり言えば、「世界をペテンにかけた」だけなのです。

私たちは日本政府に、そして、東電に、騙されてはなりません。
彼らはこれまでにも許しがたいほど、国民をだまし続けてきているのですから。
出来るだけ早くフクシマを収束せるために、ありとあらゆる手段を用いて取り組むことがまずは喫緊の課題なのではないのでしょうか。

日本は68年前、敗戦し、その後日本国憲法によってそれまでの戦争国から戦争をしない国としての歩みを続けてきました。

ところがこの憲法も、風前のともしび。
2020年に平和の祭典であるオリンピックを推進している人たち自ら、日本国憲法を変え、68年前のように戦争ができる国にしたいと考えているのです。

平和の祭典を望む人は、少なくとも、戦争を望まないはずです。
ここでもまた、世界の人々に嘘をついているのです。
昔から得意としている札束で人の心を変えようとする姑息な手段。
中東、アフリカへの甘いささやき、援助。
そして、大枚をはたいてのロビー活動。

トルコは一度も開催してはいません。
スペインは2度目です。
前回はバルセロナ。
マドリッドは初めてです。
そして、3回連続立候補です。
12年間、希望しているのです。

日本は8年間。
けれども前回は都民の盛り上がりが他と比べて低かったとか。
では今回は・・・都知事選400万票取った猪瀬さんは走ってしゃべってやる気満々ですが、都民はそんなにやりたいと思っているのでしょうか?

私の周りには「是非ともやりたい」なんて人は見たことがありません。
「どちらでも」という人。
「やりたくない」という人。」
そして、「絶対やりたくない」という人はたくさんいます。
あるいは、「やりたくないどころか、やってはいけない」という人もいます。

68年前のアメリカのヒロシマ、ナガサキへの原爆投下は作った原爆の威力がどれだけあり、人々に対してのどのような影響があるかを知るための人体実験だったという話も聞かれます。

もしかして、日本政府も福島第一原発事故を利用して原発事故によって人々は「どのように被曝し、いつまで、どのような影響を受けるのか」を調べる実験中なのではないのだろうか?
これを元にアジアに、中東に原発を売り込み、儲けようと考えているのではないだろうか?

こんな姑息な国でのオリンピックなんてまっぴら御免蒙りたいものです!!!


<人体実験に参加しない>