「思想の科学」は、戦後まもない1946年に鶴見俊輔・丸山眞男・都留重人・武谷三男・武田清子・渡辺慧・鶴見和子の7人によって立ち上げた先駆社というところから創刊された雑誌です。
その名の通り思想誌で哲学や社会科学を論ずる月刊雑誌でした。
尚、出版社はその後「建民者」「講談社」「中央公論社」「思想の科学社」と変わりました。

この雑誌は、60年安保後の1961年、天皇制の特集をしたところ、当時の出版社だった中央公論社が編集者に無断で断裁して発行停止としました。
これに抗議して久野収を初代代表取締役とする思想の科学社を立ち上げ、1996年に廃刊になるまで通算50年間もの長い間続いたのです。

ちなみにこの頃は、「現代の眼」「構造」「情況」「現代の理論」「展望」「朝日ジャーナル」等、思想的にラジカルな総合誌がずらっと並んでいました。
この他にも、神田神保町あたりの書店に行くと、ミニコミ誌や政治党派の機関誌等々が所狭しと並んでおり、まさに本の洪水・活字の嵐でした。

「団塊の世代」である私たちにとって数あるこの種の雑誌の中では、この「思想の科学」は比較的穏健な部に属するものととらえていた節があります。
敢えてニュース性のあるものや政治的アジテーションのようなものとは一線を画していたように思います。
そのためか、学生運動が終焉に向かい他の雑誌の廃刊が続く中でも営々として刊行され続けました。

ニュース性はなくても、しっかり時代とは向かい合っていたと思います。
まさに60年安保、70年安保前後の社会状況の中で葛藤しながらも時代を切り開く思想を模索していたのです。
それが分かったのは、ずっと後のことでした。

写真で紹介してるのは、1973年4月号です。
この号は主題を「いま子どもはなにを」として、全ての文章が子どもによって書かれています。

巻頭の「読者へ」の中で編集委員会は次のようなことを述べています。

11月に呼びかけを発して以後、子どもの文章は1689人、400字詰原稿用紙2956枚に達しました。
あらためて、子どももまた大人と同じく、一個の表現主体であるという確信を深めました。
子どもたちは、この現実の中で、自らの生を生きようとし、自分のぶつかっている内部あるいは外部世界を、さまざまな歪みを蒙りながら、切実に表現しようとしていました。
ふえんすれば、私たちの選択の基準は、文章の巧拙よりも、一人ひとりの体験から発する子ども自身の生きた感情や思想が表現されていると感じられたもの、単なる大人の口まねでない、しかも強要された子どもらしさから自由で、子ども自身の欲望や想像力が表現されていると感じらたるもの、という判断に基づいています。
私たちは、今後も、子どもの発言に本誌面を開いていくつもりです。
これは、本当にすごいことです。
大人の思想誌に子ども自信が書いた論文が載ったということだけでも驚きですが、編集者集団が子どもに誌面を預ける、つまり、表現主体としての子どもを尊重して編集しているのがすごいです。
教員たちの研究会でも、各学校から出された子どもの作文を選択して文集などを作ることがありますが、その選択基準や発行の姿勢は如何なものか知りたいです。

私がこの号に書かれた84人の文章を読んだ限りにおいては、少なくとも「教育的配慮」は一切ありませんでした。
これこそが、子どもの生の心だ気持ちだ・・・と感じました。

個々の文章を紹介できませんが、この時代にこんな雑誌の取り組みがあったことを紹介しておきたいと思った次第です。

本屋からこの種の雑誌がすっかり消えてしまった今、学生をはじめ若者や教員さえも本そのものから遠ざかってしまった今。
表現とは子どもとは・・・。

しかし、それにしても昔の本は活字が小さい!




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