参議院選挙投票日まであと2日。
新聞、テレビ、マスコミ報道では自民党の圧勝と記されています。
昨年末の衆議院選挙での自民の勝利に引き続いて。
「これでねじれは解消、為政者の思い通りに国家政策を実行することができる」と、自民党執行部は21日を手ぐすね引いて待っているのでありましょう。
まだかまだかと。
今度こそ自民党の党是である「押し着せ憲法打破」を貫徹し、「自主憲法制定」に向けてロケットスタートを切るはずなのですから。
その用意はもうすでに昨年4月に出来ています。
自民党憲法草案として。
彼らはこれまでずっと虎視たんたんと狙っていたし、待ち望んできました。
今がまさしく「待ちに待ったチャンス到来」なのです。
「いつ、やるんですか?」状態なのです。
こんなに危険な状況であるのに、「アベノミクス」というまやかしに騙され、円安に一喜一憂し、株価の上昇に諸手を上げて喜ぶ人々。
結局のところ、私たちの所になどすずめの涙ほどのお金が回ってくれば御の字。
実は、それさえも怪しいのが現実です。
というのも、現在の労働環境が最悪ですから。
組織労働者が2割を切り、ナショナルセンターである連合の動きは心もとないどころか、瀕死の状態のように見受けらます。
賃金は資本から勝ち取るもの。
労働運動に、われらの闘い、に付いてくるものです。
ところがどっこい、数が少ない上に闘いも貧弱。
これでは何も勝ち取ることなどできはしません!!
労働運動だけではないのです。
人々の選挙に対する意識の低さは目を覆うばかり。
昨年末の衆議院選挙、自民党が圧勝したのはよく知られていることですが、得票率で見ればそんなことはありません。
自民党でさえ前回より票を落としているのですから。
ここで考えてみたいことがあります。
日本における民主主義の潮流についてです。
明治になり、欧米に倣い国会を開設し、人々の代表を決める選挙が始まります。
しかし、当初は100人に1人くらいしか選挙権を持っている人がいません。
たくさん税金を払っている人、それも、男のみ。
という状態だったのは小学生でも知るところです。
その後、少しずつ改善されていきます。
もちろんこれには闘いがあったのですが・・・1925年、ようやく普通選挙。
と言っても、選挙権は誰に対しても与えられたわけではありません、ご存じの通り。
金持ちだけでなく、貧乏人でも誰にでも、選挙権はようやく与えられたのは事実。
しかし、またしても、男のみ。
女性の代表者はいないのです。
現在の選挙制度となるのには、これから20年以上の時を必要とします。
15年戦争を経て、敗戦するまでの悪夢のような長い長い時間が・・・。
日本中の人々が「自分たちの代表を国会に送る、送りたい」という権利を勝ち取る闘いが敗戦後の日本に湧き起こったことによってではないことは否めません、残念なことながら・・・
しかし、それから66年、学校でも民主主義を教え、日本国憲法の下、教育活動が行われてきたという事実は確かに現存するのです。
私たちは、今一度、1945年8月15日に立ちかえらねばなりません。
8割以上の人が戦後生まれで、その日を経験してはいません。
まさしく単なる歴史上の事実の一つに過ぎないのかもしれません。
しかし、この日、人々は何を考えたのだろうか?
そして、敗戦の混乱の中、「『聖戦』と言われていた戦争というもの」をどうとらえたのだろうか?
ということを今まさに考える時期なのではないかと思うのです!
今度の選挙はまたもや戦前の過ちを恥も外聞もなく露骨に繰り返そうとしている政党を、政治を、選ぶのか、あるいはそれを否定するのかが問われる重大なターニングポイントなのです。
選挙権を持つ人々は日本の将来を、未来を決める、いや、世界平和という観点からも、大きな大きな責任を感じつつ、1票を投じる必要があると言わざるを得ません!
<歴史は繰り返させてはならない>