
昨年植えたミカンの木に葉がたくさんついてきた。
小さい苗木で、うまく根付くか心配していただけに安心した。
ところが、ある日、ふと覗いてみると小さな青虫がいるではないか。
大事な葉っぱを次々に食べている。
新しい葉っぱはさぞ美味しいのか、みるみる葉は食べられていく。

これはまずい、早く何とかしなくては…
かわいそうだが、無理やり葉っぱから離して虫かごの中に移した。
餌の葉っぱは他所のうちからいただこうと考えた。
早速近所から食糧調達。
しかし、今まで食べていたものよりやや固めの葉っぱだった。
最初のうちは躊躇していた虫たちも、背に腹はかえられないのか食べ始めた。
ホッとした。
こんなことをしたのは子どもの時以来。
あの頃、早くチョウにならないかと毎日観察を続けたものだ。
今回はみかん保護のためにとった措置、青虫さんには悪いけどついでに観察させてもらうことにした。
はたしてその後どうなったか?
機会的に何度かは葉をやったり糞を取り除いたりはしていた。
今思うと、あまり食欲がなかったようだ。
しかし、ある日、突然動きが悪くなったと思ったらサナギになろうとしているではないか。
それまで写真を撮ることもせず、ただ飼っていただけだった。
三匹いたうち二匹は小枝に、あと一匹は何と虫かごのフタの部分に逆さまになって動かなくなった。
そして、青虫を飼育し始めてから二週間目。
外出先から帰ったら羽化をしていた。
見事な羽模様だ。
カゴの中が狭いのか、羽をばたつかせていたので外へ行ってカゴのフタを開けてあげた。
一羽はサッと舞い出て、近くの木の葉にとまった。
もう一羽は…というと、羽はばたつかせるのだが、うまく飛べない様子。
よく見ると、片方の羽の三分の一位が折れ曲がっていて、羽全体が広がらない。
ちょっとした左右のバランスの違いでも飛べないのだろう。
飛行機を考えればすぐ分かることだ。
飛べないアゲハは、芝生に落ちたまま何とか羽を伸ばそうともがいていた。
手を出して羽を治せるものなら治してあげたいが…、放っておくことにした。
数時間後、芝生に姿はなかった。
外敵に食べられてしまったのか…。

いた!
何と、ミカンの木によじ登り葉っぱにとまってるではないか。
開いていた方の羽もかなり破損していた。
そして、片方の羽は折れ曲がったままだった。
芝生の上で一生を終えるわけにはいかない。
もといた木に戻ろう、それで最後までそこにいよう…。
そう思って最後の力をふりしぼったにちがいない。
後悔の念が走った。
ミカンの葉を惜しむあまり、彼らの生き方を奪ってしまった自分が情けなく思えた。
自然に任せるべきだった。
例え鳥などに食べられてしまっても、それはそれで運命だ。
捕らえられて代わりの餌を与えられ、不自然な場所に閉じ込めてられたのは、彼らにとって本意ではなかっただろう。
あんな所で羽化させたから、羽が折れ曲がってしまったのだろう。
飛べないアゲハを思うと、全てが自分の責任だと思わずにはいられない。
翌日、供養でもしようとミカンの木の近くまで行ったところ、付近を飛んでいるアゲハに出会った。
よく見ると、羽が折れ曲がったあのアゲハだ。
少し飛んでは葉にとまり、また飛んでは他の花にとまる。
よくぞ生きていた!
あの羽では遠くへ飛んで行くことができなかったのだろう。
それでも自らの羽で羽ばたき、次々と植物の枝や花を渡り歩くいや渡り飛ぶ姿は心に響くものがあった。
後悔したり感動したり、アゲハの羽化は数十年ぶりに私の心を動かした。
〈M8〉