6月27日、「東京都教育委員会」は14年度に使用する高校の教科書の選定について、検定に合格している特定の教科書の選定をやめるよう各高校へ文書で通知した。
それは、実教出版の日本史Aと日本史Bである。
この日本史Aの教科書は、2011年の検定で「政府は国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではないことを国会審議で明らかにした。しかし、現実はそうなってはいない」との記述をした。
これに対し文科省が修正意見を出したため、「公務員への強制の動き・・・」等と書き換えて合格した教科書である。
これでも、都教委(「東京都教育委員会」であるが、こうして一括して表現するとその機関の誰がどういう経過でその結論を導いたかが曖昧になり、結局誰も責任を取らずに結果だけがひとり歩きする。行政の各機関に共通する悪しき慣行であり、民主主義の盲点とも言えるものである。)は満足しなかったようである。
この教科書が世に出る前に都教委は、各校に電話で「(その教科書の記述の趣旨は)都教委の考えと合わない」と伝えた。
つまり、13年度の教科書として選定しないように求めたのだ。
(この件については、12年7月19日付けのブログでも触れている。)
その結果、何と都内での選定はゼロであった。
電話でどんな話をしたのか定かではないが、相当な圧力をかけたのであろうことが想像できる。
そして、今回、今度は電話ではなく文書で通知したのである。
その理由はこうである。
「『公務員への強制』という表現は明らかに間違っており、採用するわけにはいかない・・・・。」
何故こんなに都教委が教科書の記述で神経質になっているのか?
答えははっきりしている。
本当のことを指摘されて狼狽えてしまったのだ!
忘れもしない2003年10月23日付けで出された通達(通称10.23通達)は、国旗掲揚・国歌斉唱を職員に義務付けている。
以下にその抜粋を掲げる。
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1 学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること。
2 入学式、卒業式等の実施に当たっては、別紙「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」のとおり行うものとすること。
3 国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること。
(別紙)
入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針
1 国旗の掲揚について
入学式、卒業式等における国旗の取扱いは、次のとおりとする。
(1) 国旗は、式典会場の舞台壇上正面に掲揚する。
(2) 国旗とともに都旗を併せて掲揚する。この場合、国旗にあっては舞台壇上正面に向かって左、都旗にあっては右に掲揚する。
(3) 屋外における国旗の掲揚については、掲揚塔、校門、玄関等、国旗の掲揚状況が児童・生徒、保護者その他来校者が十分認知できる場所に掲揚する。
(4) 国旗を掲揚する時間は、式典当日の児童・生徒の始業時刻から終業時刻とする。
2 国歌の斉唱について
入学式、卒業式等における国歌の取扱いは、次のとおりとする。
(1) 式次第には、「国歌斉唱」と記載する。
(2) 国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。
(3) 式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。
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都教委は、この通達を盾にその後、通達に従わない数多くの職員の処分を繰り返すのであった。
中には見せしめとも思われる狙いを定めた処分も行われた。
当然、現場では様々な抵抗を試みた。
当局がいかに処分しようと、絶対引き下がらない強固な闘いもあったがため、最高裁でさえ12年には「減給・停職には慎重な考慮が必要」という要旨の判決を出さざるを得なかった。
このように司法にまで及んだ都教委と都職員の闘いは、今なお続けられているのである。
今回、都教委がこうした異常とも思われる通知をした背景には、6月25日に自民党の「教育再生実行本部」が中間まとめを安倍首相に提出したこともあるであろう。
何しろ安倍は、金をかけずに目立つ効果的なことをやろうとしているから、「教育」がもっとも狙われるのである。
今回の中間まとめでも教科書の(アジア諸国に配慮する)近隣諸国条項」の見直しを掲げている。
そして、「多くの教科書が自虐史観に立つなど問題がある」とも述べている。
「多くの教科書」というからには、そういう教科書が多い、つまり、常識・良識に基づく教科書がこの国には一般的に流布しているということでもある。
さらに、将来的には「教科書法」を制定して、教科書の定義や検定・採択の在り方等を定める・・・と述べている。
道徳の教科書も作ろうと画策しているのだから、今後、自民党政権の打ち出す教育施策は厳重にチェックし阻止していかねばならない。
さて、こうした後ろ盾があることによって、一時は勢いが衰えた都教委が再び強権的に出てき始めたということだろう。
面白いのは、「『公務員への強制』という表現は明らかに間違っており・・・」というフレーズである。
これは、私たちからすると「公務員への強制」は明らかに間違っているのだから、「そうだ!」「異議なし!」というべき表現である。
今回、都立高校はどのように対応するのであろうか・・・・。
その結果の如何を問わず、私たちは、今回の都教委の破廉恥極まりない行為を糾弾する。
そして、この事実をひろくこの国の人々に明らかにしていきたい。
都教委を構成する個々の動きを具体的に明らかにさせ、今まで事務局レベルで数多くの請願を握りつぶしてきた事実等とも絡ませながら、私たち主権者が彼らを監視していこうではないか。
民主主義を実体化するには、主権者の私たちが行動していかなければその路は開けない。
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