定年退職後、再任用・非常勤・産休代替と次々に形を変えながらも仕事し続けてきた友人がいる。

彼のモットーは、「動けるうちはいつまでも仕事を続けたい」である。
それも、「できることなら、永年親しんできた学校関係で働きたい」というのだ。

そこで、私は現任校の管理職に彼を「理科支援員(サイエンス・アシスタント等の呼称もある)
」に推薦したところ、「是非!・・・」ということで採用になった。
つい数週間前まで産代をしていた学校であるから当然である。

私が彼を推薦したのは、彼のことを考えるというより自分自身を考えてのことだった。
20代30代の若い教員がほとんどの職場に、自分と同年代の仲間がほしかっただけのことである。
私には彼のような働く意志と強い思いがあまりない。

ところが、彼が出勤して何だかんだと話している中で気づいたのだが、彼は「理科」という職務だけではなく広く学校全体のことを見ているのだ。
「○○は、あいつ子どもに厳しく言ってるわりには授業の準備もあまりしないでやってる。」
「△△は、彼女は初めての高学年だろう。理科の本質を分からないまま進めてるから子どもたちも何だかよく分かってないみたいだ。」
「教務も、校長が自主的に好きなことをやってほしいと願っているわりには何だか思い切ったこともできないみたいだし・・・・」
「若い連中は、けっこう力がありそうだけど何をやってんだかよくわからん!」
「あまり職員室にも降りてこないし、表向きの仲良しだけで、本当のところどうなっているのか・・・・」
そして、極め付きは、「管理職は真面目すぎる!」

私がずっと感じてきたことと同様のことを感じているのだった。
管理職の「かたさ」に由来すると思われる、職員の「融通のきかなさ」「クソ真面目さ」も見抜いている。

「これでは駄目だ!」と私たちは一致して動くこととした。
まず、私が彼のいない打ち合わせの時、「A先生は理科支援で来ていますが、それ以外のことでも皆さんが必要だったらどんなことでも気軽にお願いしたり聞いたりしてみてください。私らは皆さんよりかなり長い間経験してきたり考えたりしてきました。全てが優れたものとは言えませんが、知恵があったりノウハウも多少はあります。関わってほしくなかったらいいですと言ってください。Aさんが(私が)遠慮して、皆さんが遠慮して、遠慮と遠慮がぶつかっては何も生まれません」というような話をした。
管理職も同調するような発言で後押しをしてくれた。

明けて翌日、彼が出勤してくると早速彼の周りには次々に若手がやってきて何やら話をしていた。
彼も心なしか満足気に見えた。
それにしても現金な若者たちだ、言われればそのように動くのか・・・。

彼も、「せっかく学校に来るのだから、子どもとの関わりも持ちたいし少しでも学校を良い方向へ変えたい・・・」と考えているようだ。
今回の私のアクションも、事前の飲み会で彼と相談しておいたいわば連携プレーであった。

こうなると、非常勤に課せられた週11時間の持ち時間を崩すことにもなるが、様々な場面で若者たちの仕事に介在して動いたり喋ったりしていかねばならない。
そういえば、私は今年度当初の校長との話し合いで、「今年は、昨年以上に学校教育に介入させていただきます」と宣言していたのだ。
例えば連休明け、それまで担当していた学年の授業をやめて他の困難を抱えた学年を担当することになったのも、校長の発想ではなく私が当該学年と話し合った結果を基に変更したものだった。

空き時間であっても、某学年からヘルプが求められたら即駆けつける。
担任が出張でいなくなる低学年教室には給食の補教で入る。
結局のところ雑用係・穴埋め担当が多いが、こうして彼らの中に入り少しづつ何かを変えていくしかない。

ただ組合の機関誌を配ったりしただけでは、今の若者は容易に動かない。
かなり身体も疲れる仕事ではあるが、現役と同じように現役とは違った形で学校現場に関わることは私たちに課せられた任務であるかもしれない。

団塊の世代は闘うぞ!
Aさんと連帯して闘うぞ!




<やったるで>