6年生の社会科を担当している。

歴史学習は比較的子どもたちに好まれている。
図書室にも歴史漫画をはじめ、それなりに関係書籍もそろっている。
これを知っている他の学年の子も、早く歴史の勉強をしたいという子もいる。

その歴史学習だが、文科省の学習指導要領では「人物」中心主義ともいえる内容で教科書を構成している。
今に始まったわけではなく、小学校の歴史授業はそれが子どもに親しみを持たせると考えたのか、かなり以前から人物中心の歴史になっている。

子どもたちが持っている 資料集の付録にも人物カードが付いているし、市販の掲示用資料にも大判の人物カードがある。
卑弥呼に始まり、聖徳太子・小野妹子・中大兄皇子・聖武天皇・・・・東郷平八郎・小村寿太郎・野口英世で終わる。
たしかに「時代」を代表する人物といえばそれまでだが、天皇を中心とする権力者や官僚や学者などである。

奈良・平安・鎌倉・・・江戸・・・と権力の中枢があった場所の名称をとって「時代」区分する歴史学が、この国では支配的なことと無縁ではないであろう。

民衆史観に立つ歴史学なんていうのも魅力的だが、如何せん手元に資料が圧倒的に不足している。
それに、子どもたちの教科書はもちろんのこと、図書室などの書籍も人物中心が多い。
もっとも最近では「調べ学習」が流行し、だんだん歴史関係の範囲も広がり面白い本も出てきてはいるが・・・。

学担をしている時は、どんなふうに授業を流しても子どもたちは仕方なくついてきたが、専科的立場になるとそうはいかない。
一時間ごとにそれなりの工夫がないと、子どもたちはついてこない。
最初の切り出し方一つで、その授業の良し悪し(子どもたちがついてくるか離れるか)が決まる。

この際に有効なのが人物の写真だ。
「今日はこの人が主人公です!」
こう投げかけ、付録の人物シールでもノートに貼らせると、あまり社会の好きでない子も何とか授業に参加てくれるのだ。

入口は人物であっても、その人物調べだけをするわけではないのだが、子どもたちにとっては学習の動機付けになるようだ。
要するに、6年生の子どもたちに興味関心を持たせたかったら人物を中心にやれということなのか・・・・・。

色々不満はあるが、歴史は「人物」で乗り切るにしても、公民的分野になるとこの「人物」がないので一気に子どもたちのテンションが下がる。
「あーあ、歴史の方がよかったよな・・・」
「シールもないし、つまんないよ。」

政治や憲法の学習はそれなりに工夫して子どもたちの日常と関連させようとしているのだが、今一歴史のようにはいかない。
やはり人物中心の歴史絵巻物の楽しさには勝てないらしい。

今年も、今のところ子どもたちはノリノリで歴史学習に目を輝かせている。
よし、この流れで一年間、6年生の社会科を乗り切ってやるぞ! 

「人物」中心の歴史に負け続けては腹の虫がおさまらない。




<やったるで>