「夕会」という奇妙な職員打ち合わせ時間がある。

これは、熱心な若手教員が提案して実施されているものである。
従来の「朝会」では、貴重な朝の時間に子どもたちと離れてしまい指導ができないという不満から出されたものである。
何と真面目な教員たちなのか・・・・。

午後4時30分、休憩時間が終わり、「夕会」の時刻だ。
もっとも、休憩などしているのは私くらいなもので、若者たちは当たり前のように仕事をしている。

「おつかれさまでした!」と元気な日直教員の声を合図にそれは始まる。
諸連絡が主な内容だが、何もない時などは管理職の訓話を聞くような会となる。
ところが、連絡忘れやミスはいつものこと。
疲れているから仕方ないかもしれないが、一日の始まりの朝に連絡すべき内容がほとんどだから前日には気がつかないのである。

一日の中で時間変更や内容変更があったときは、必ず誰かが気づかず失敗をやらかす。
だから、いつもバタバタしている。
忙しそうに見える。

そこで、連絡を徹底するということで個々のパソコンに共有メールを送る。
発信した者は、それで自分の責任は終わったとしているが、徹底などできるわけがない。
実に滑稽なことだ。

それにしても、合言葉のようになった「おつかれさまでした!」の言葉が虚ろに響く。
朝から晩まで休みなく働く自分に「おつかれさま」と言ってあげてるのか、同じように疲れきった同僚に連帯感を込めて「おつかれさま」と言ってるのか・・・・。

この「夕会」で一日の勤務が全て終わり、会が終了後に一斉に退勤するというような状態なら「おつかれさまでした!」の元気な掛け声もマッチしているのだが、この後にいつ終わるか分からない仕事をしている彼らにはふさわしい言葉ではない。

そういえば、この「おつかれさまでした」なる言い方は最近よく耳にする。
民間会社などでは、朝でない時刻でも仕事に入る時は「おはようございます」と声掛けするのと同じように、「おつかれさまでした」が日常的に使われていたような気がする。
かつて学校は、そこまで律儀にしていなかったような気がする。

そう、気心が知れた仲間は、そんな声掛けではなくもっと他にいう言葉があったのだ。
誰にでも通じるような慣用句ではなく、もっと熱い温かい気持ちのこもった言葉があったのだ。
そう、「さあ、飲みに行くぞ!」
そもそも、こんな遅い時間にみんなが集まるのは、組合分会の職場会か職員会議がもめて延びている時くらいしかなかった。

「おつかれさまでした!」の声を聞くと、私はドッと疲れが出てくる。
こんな学校に誰がしたのか!

この状況がちょっとでも前向きに変わった時、その職場の職員は労働者として自覚した時である。



〈やったるで〉