定年が近づいてくると自分より年上の職員は少なくなってくるのは当たり前だが、これが何とも言えないやりにくさを感じる。
これは私自身の固有な感覚かもしれないが、新採の頃から管理職や先輩に楯突いてきた自分としては、その対象が自分より年長者である必要があった。
理不尽なことを言ったり威丈高に指示するような人がいても、それは自分より先輩だから例え納得はしなくても「まあしょうがないか…」と諦めることもあった。
しかし、時には自己主張をして相手を困らせたことも少なくなかった。
つまり、自分より年長者がいれば安心して過ごすことができたのである。
自分が先頭を行ったり、責任を持ったりしなくてもいいやという気持ちになっていたのかもしれない。
そんな自分も年を重ねるにつれて楯突く相手が少なくなるのであるが、それは結果として自分に合った学校を創ってきたからであろう。
退職した友人たちともよく話すのであるが、自分が校長みたいな学校にしてしまえば限られた幾つかを除いてほぼ自由な居心地の良い職場になるのであった。
それはそれでよいのだが、やはり先輩がいた方が気持ちはぐんと楽になるのも事実だ。
ところが現役を引退した今、全くもって自分が職場の最年長者である。
ただでさえ非常勤は一般職員と次元が違い、具体的な問題に入って行きにくいのに、さらに職場最年長者を意識してしまうのである。
長老は即ち、知恵があり物知りでなければならない。
長老は即ち、問題解決の最後の手段でなければならない。
長老は即ち、集団の精神的中枢でなければならない。
つまり、文句は言われても、文句を言う立場ではない。
これはある意味、非常に辛いものがある。
先輩教員や校長のことを突き上げていた方がどんなに楽なことか!
管理職をはじめ職員全体が若返った今、彼らを一喝したい気持ちにはなるが、とても理想の長老にはなれない。
しかし、「学校ごっこ」をしているかのような彼らを真剣に説教したり諭したりするのも憚れる。
時には具体的に「教える」こともあるが、私の性には合わない。
何とも言えない居心地の悪さを感じる。
かくして、黙々淡々と過ごすことが多くなる。
今思うに、現役の頃は結局何かに甘えて過ごしていたのかもしれない。
〈やったるで〉