私の現役時代からそうであったが、今日の学校(とりわけ小学校)って何と行事が多いのだろうか。
4月5月だけでも、始業式や入学式から始まって一年生を迎える会・離任式・遠足・○○給食・土曜授業公開・運動会etcと続く。
この他に避難訓練・集団下校・委員会紹介集会・縦割り班活動・家庭訪問・保護者会・各種健康診断等々、行事のない週なんてない。
何しろ朝の時間帯だけとっても、朝会・読書活動・児童集会・宿題点検・・・自由な時間なんて全くない。
行事の合間を縫って授業をしているような感じだ。
その場だけ参加するならまだしも、行事のほとんどは事前の準備に多くの時間をかけるから問題なのだ。
特に教員たちが力を入れるのは、保護者に見せるための行事だ。
「土曜授業」は、学力充実のために授業時数を増やしゆとりを持って指導できるように企画されているらしいのだが、行事の準備で授業を削っているからその代替措置とも言える。
親向けには「学力向上」対策として宣伝しているが、要するに親に見せる諸々のために時間がとられてしまうから土曜日まで使って授業をせざるを得ないということだ。
学力といえば、毎日学年に応じて共通のプリント宿題を出すのも本校の特徴だ。
この宿題は個別にファイルして保存するが、その点検や管理のために指導する時間だってかなり要するらしい。
そんな時間があれば、授業をしっかりやった方がよほど効果があると思うのだが、「宿題忘れをゼロにしよう」と教員たちはかなり力を入れて指導しているらしい。
「宿題を出さない先生」として一世風靡した(と勝手に思ってる)私としては、ただ亜然!
既に練習が始まってる運動会。
これが何といっても見せるための最大のイベントだ。
5月の連休前、すなわち一ヶ月以上前から練習やら打ち合わせをしているのにはあきれる。
これが本格的に始まると、子どもも教員も授業なんて二の次になる。
迫力のあるものに押されるのは世の常であるが、学校も例外ではない。
応援やマーチングや集団での表現活動(踊りや組体操)は、音も動きも派手で目立つ。
そんなことが好きではない子もいるだろうに、有無を言わせぬ集団指導である。
運動会が戦争とピッタリ結びつくのは、これを見ているとよく分かる。
それにしても、好きなんだな教員は・・・・と思う。
普段は授業の充実を第一に説く管理職も、この時期はすっかり目は保護者や地域に向いている。
目立つ行事で学校を評価してもらいたいと考えているからであろう。
「行事に流されて子どもが落ち着きを欠いて学習ができなかったり、熱心なあまり怪我をさせたりしないように十分注意して・・・」なんてきれいごとを言うのもいつものこと。
それにしても、朝練や夕練、中休みや昼休み、給食の時間まで練習をするようになるのだから教員も何かにとりつかれてしまったかのようだ。
教員がこうだと、子どもはそれ以上にとりつかれてしまう。
そう、「疲れて」しまうのである。
怪我や病気は当たり前、教科の学習なんて真剣に取り組む余力はない。
まさに学校は学力をつける場ではなくなる。
何のために学校に来ているのか・・・。
子どもも教員も・・・・。
学校行事の弊害は、かつても何度か話題になったこともあるが、本質的な解決はされないまま延々と続いている。
長く教員をしている者たちの中には「行事命!」みたいな者もいるが、大半はあきらめているのであろう。
しかし、若手教員たちは否応なくそれに従事させられ覚えていく。
まして批判力の欠如した近年の若手は、当然のように学校行事をこなしていくのである。
かくして、大学時代は一定程度の学問をものとしてきたにもかかわらず、学校現場に就いてからは学問らしきものに触れずに過ごすことになる。
授業をするのに指導書は読んでも、その教科の本質に関わる専門書なぞまず読まないであろう。
第一忙しく、そんな暇さえ作れないにちがいない。
その結果、ますます授業は薄っぺらなものになり、学校ごっこ的な授業に終始することになる。
現役時代には、せめて手をぬいてやろうとしたり練習時間を最小限に収めることぐらいしかできなかった自分が、したり顔をして言うのもはばかれるが、真剣な眼差しで取り組む若手につい一言かけてしまうのである。
「そんなに頑張らなくてもいいよ・・・」と。
<やったるで>