最近の傾向なのか、学校でやたらに「ありがとう」という言葉を耳にする。
英語のスピーチ等では最後に「サンキュー」というのを聞いたことがあるが、私の経験ではスポーツの試合の後に「ありがとうございました!」と互いに労ったことはあったが、日常生活の中でそんなに沢山「ありがとう」は連発しなかった。
それこそ、他人に何かをしてもらった時に「ありがとうございました」というのは礼儀だと親に教えられた程度である。
ところが、最近では何かが終わると何でも「ありがとうございました!」である。
もっとも、ラジオやテレビでも番組が終わる時に司会者が解説者に「有難うございました」と言うと、解説者は「有難うございました」と応えるのである。
えっ、違うでしょ!
返答は「どういたしまして」でしょう!
もし有難うと言うなら、「私のつまらぬ解説をお聞き下さり、有難うございました」という短縮形にして言う場合だ。
とにかく「ありがとう」が世の中に蔓延している。
授業が終わると、「きをつけ!これで◯◯の授業を終わります。ありがとうございました!」というパターンが標準化している。
そしてこれは、授業が始まる際の「よろしくお願いします!」と対応しているのである。
信頼関係のある子弟が自然な流れで出てくる言葉ならそれもよいが、小学生に規律として教え込む内容ではない。
よしんば彼らの本心から、そのような言葉となって表れる場面があるかもしれない。
しかし、毎時間そのような感動的場面は残念ながら起こり得ないのだ。
なかには、「よろしくお願いします!」と言いつつも全く授業に集中せず友達の邪魔をしている子もいるのだ。
有難いと思ってなくても「ありがとうございました!」と言わされる彼らからは、言われる私もありがた味を感じるどころか嫌気さえ覚えるのだ。
この種のパターンは体育会系から来ているのかと考えていたら、この間テレビを見ていたらアイドルグループが演じ終わった後に「有難うございました!」と元気良くやっていた。
はは~ ん、こういうセチュエーションでやるのか、と変に感心してしまった。
これも先の解説者同様、己の表現を見聞きしてくれた相手に感謝の言葉を述べるという意味合いなんだな…と思った次第だ。
それにしても、「ありがとう」を言いながら感極まって泣き出すタレントまでいるのには閉口する。
周りがこうなのでは学校も仕方ないか、と諦めるわけにはいかない。
学校では、社会人になるための準備学習をしているとも言える。
然るべき「ありがとう」の在り方を指導したほうがよい。
「一年生を迎える会」で、出し物を演じ終わった学年が集団で「ありがとう」を言うのは場にそぐわないと思う。
同じ会で、挨拶をした代表の子どもが、挨拶の後に「ありがとう」を言うのもおかしな感じがする。
もし使いたかったら、「みなさんのご協力のお陰でこの会が楽しいものになりました。みなさん、有難うございました」と言えばよいのだ。
何でも最後に「ありがとう」を言わせる教員の指導性を問わなければならない。
これから春の運動会シーズンだが、またまた演技の後に「ありがとう」を言わせて会場から大きな拍手を要求するのであろうか。
こんなことをやっていたら、「ありがとう」の有り難味がなくなってしまう。
そう、「ありがとう」が安っぽくなってしまうのだ。
<やったるで>