現役の頃、学級担任しかやったことのなかった自分は、非常勤という専科的立場になると見えてくるものがある。
小学校という所は、学級担任が中心で回っているという現実もその一つだ。

授業開始時刻なので教室に向かうと、まだ前時の授業をやっていたり学級指導をしていたりすることがしばしばある。
子どもには時間を守れなどと言っておきながら、教員自らが守っていない。

学校行事が近くにあると、行事が何より優先され非常勤の持ち教科は二の次になることある。
計画性などというものもあるのかもしれないが、学担の都合で安易に予定が変えられる。
自分の持ち授業ならどうにでも調整がつくだろうが、複数学年やクラスを持っているこちらはそうそう簡単には変えられない。

最も大きな違和感というか感覚のズレは、「専科は暇」だと考えている学担がいる事実である。
自分たちは忙しい。
休む間もなく子どもたちを指導している。
だから、休み時間にも授業やその他の指導が延長されざるを得ない。
それに比べて、専科は……。
という感覚なのだろう。

授業も準備が必要だし、学年や教科が変わるとさらに切り替えの時間が必要である。
教材研究や教具や資料の準備も必要だ。

そういえば、教材研究って学担はしているのだろうか?
周りを見回すと、研究授業以外できっちりそれらしきことをしている学担をあまり見かけない。
放課後、夜遅くまでしているか自宅でやっているのだろう……。

自分の現役時代のことは棚に上げて言うならば、小学校の教員は学校行事には時間をかけても教材研究にはあまり時間をかけないのではなかろうか。
私も自宅でやることが多かったが、基本は勤務時間内にやるべき本務の中心のはずである。
もっとも、フィンランドのように授業中心の本務で退勤時刻が早いなら話は別だが……。

そういう「忙しい」学担さんは、我々専科組を暇だと感じるのだろう。
だから、当たり前のように平気で「補教」に当てたり「付添」を頼むことが多い。

自分の忙しさを、本質を考えることなく専科に転嫁してしているとしか思えない。
学級王国ならぬ「担任王様」である。
もし専科が暇でいいなと考えるならば、自ら専科になる努力をすればよいのだ。
互いにポジションが異なるのだから、同じように考えるのではなく互いの特性に応じて仕事をすればよいのである。
それが確立した中で、初めて協力協働できるというものだ。

現役時代から基本的にはこのようなスタンスで仕事をしてきたのだが、今あらためて担任を離れてみると担任中心主義ともいえる小学校の在り方が問題に思えて仕方がない。



〈やったるで〉