ドイツから帰国した友人が言っていたことで、「うん、なるほど」と思わされたことがある。

人々に何かをやらせたいと思う時、ドイツでは「これはキマリですから・・・」と話し、日本では「これはみなさんやっていますよ・・・」と話すのだそうだ。
ここから先は私の「独断と偏見」で述べることをお許し願いたい。

ファシストであるナチスの犯罪を徹底的に暴き追及し続けるドイツと、戦争責任の追及も程々に収め天皇制を継続させる日本との違いとも言える。

ドイツでは3・11東電福島第一原発事故があった後、いち早く原発の稼働を見直し7基を止めた。
その他の原発を2022年までには全て廃炉にすることも決定した。
保守政権に転換したドイツであっても、3・11の事実は原発を危険な施設として証明するに十分であったに違いない。
いわば科学的に立証されたと同様に受けとめたのだろう。
そうなると論理的にものを考える(と勝手に想像する)ドイツの人たちは、キマリと考えてあっさりと全原発の廃炉へと向かったのだと思う。

これに対して日本はどうかというと、3・11はたしかに衝撃的であったが、その後の人々の動きは二分される。
無責任な政府と東電の対応もあいまって、復興に向かうどころか明日の生活さえ見えずに苦悩する被災者がいる一方、アベノミクスにうかれる人々も少なくない。

一時は、「絆」と言えば誰もが「絆は大事にしなければ……」と横並びに(みんなもそうしているから)「絆」を唱えて「がんばろう◯◯!」を叫ぶ。
私は、たまらなくうすら寒い気持ちになった。

ここに体制擁護のマスメディアが、横並びを一層助長する報道を垂れ流すにいたってはもはや如何せんかなである。

悪口を承知で言うなら、脱原発でさえ「みんながそうするから…」と自分の頭で考えずに叫んだ人もいたのではないか。
何故そんなことまで勘繰るかといえば、一時はあれ程盛り上がった脱原発行動も今では下火になり、原発推進の阿倍内閣を相当数が支持している現実があるからだ。
もっとも、この数字もいわば「みんながそうだから」支持にしておこうという結果なのかもしれないが……。

まっ、言ってみれば論理的なドイツに対して情緒的な日本ということなのかもしれない。

以上、勝手な筋書きで友達の話を膨らませたが、最近の世の中の様子を見るのつけこんな理屈をつけた愚痴を言ってみたくもなるのである。

最後に蛇足ではあるが、私の周辺の若い人たちは「みなさん…」も機能してるが、「キマリ」もけっこう効き目があるらしく言われたことは素直にやっているようだ。


〈M〉