★学校現場からの情報によると

・最近、学校から家庭へ配布する印刷物に、各教員の職名が記載されるようになった。
・保護者会で校長が職員を紹介する際に、校長や副校長だけではなく「主幹教諭」「主任教諭」というように一般教諭とは差別化した言い方で紹介した。
・校務分掌でも主幹と主任は特別に表示されている。
・主幹は◎、主任は◯、一般教員は・で表され、まさに階級を象徴する徽章のようである。
・管理職が日常的にも主幹や主任を意識した仕事の「与え方」をしている。
・「OJT」なるものを重視し、主幹や主任は一般教諭とは異なる立場が要求される。
・若手教員の間では、「主任なんだからあの程度の仕事はやって当然だよな…」「主幹なのに仕事できないよね…」等々と若手同士で話す姿が見られる。

管理強化に反対する私たちの立場からすると、このような話を聞くと呆れてしまうが、真面目な顔をして日々進行しているかと思うとゾッとする。

新たな職制を導入するのはそれなりの理由があるからで、かつての「主任制」に激しく反対行動が行われたのは大多数の教員が一定の危機感を抱いていたからである。
それでも、当局側が強権的に導入を図ったのである。
その後、主任手当を組合に拠出したり輪番制にしたり分掌を細分化して協力協働の態勢を築く等々の取り組みをしてきたのであるが、今日の職場の様子を見聞するにつけ心配が募る。

職名について学校だより等で保護者に知らせることにどのような意味があるのか。

仮に年配者の担任が「教諭」で若手教員が「主任教諭」だったりすると、保護者は要らぬ誤解をするだけではないか。
攻撃の本質をわきまえた目を持つ保護者なら問題ないが、「うちの子の担任は若いのに偉いんだ…」「うちの子の先生は出世できない窓際先生なのか…」等となると、仕事をする上でも障害になりかねない。

校長先生は偉い先生だと思うのは勝手だが、子どもたちに直接に接し授業を行う教員たちが「偉い」先生と出世できない先生・「偉くない先生」に分けられるのは如何なものだろう。
別に「偉い」先生と思われなくてもよいのだが、余計な説明をしなければならないことも出てくるに違いない。

民間会社では職階制度が当たり前に存在しているであろうから、いつまでも「ヒラ」でいるのはそれ相当の哲学なり信念がなければなるまい。
学校でもそうであるのだが、保護者の理解を求めるのは容易ではないだろう。
仕事ぶりで示すのは可能だろうが、先入観が邪魔をしたりして偏見を持つ保護者は少なくないのが現実だ。

この制度は教員を差別分断して当局の思惑を具現化するためのものだが、単なる職名や名誉だけではなく給料にも反映されるという重大な問題を含んでいる。
この誤った制度が撤廃されないなら、少なくとも教員の仕事に支障が出るような使われ方を許してはならない。

100歩譲ったとして、主幹や主任教諭に任用されたとしても、それは事務レベルと学内レベルに留めて運用すべきである。
これを敢えて学外の保護者等に公表する必要は全くないと考えるが、如何だろうか。



<西>