1年生の頃クラブに明け暮れ、学問より体力。
思想より競争をモットーに歩んでいたが、春を迎えて一念発揮、体力より学問を志す。
2年時よりゼミに入る。
運動ではなく、本を読んで、論文を読んでなんぼのもんと思っていたのもつかの間。
すぐに季節は夏に。
先輩から「山行くぞ。」と声がかかる。
初めてのゼミの山行。
行くのは北アルプス、唐沢カール。ゼミの先輩の卒論の調査の手伝いだ。
北アルプスでの。
高校時代に丹沢、雲取山へと二度、行ったことはあったが、北アルプスへ行くのは初めて。高校では装備だって自分のものではなしに山岳部の物や後輩で山岳部に入っている人のを借りての山行。
とんでもないことを言う後輩山岳部の輩。
「先輩、先輩が遭難するのは勝手ですが、山靴だけは必ず返して下さい。」と。
「私の命は山靴より安いのか。」と未だに心に突き刺さっていて忘れられない。
新宿発南小谷行夜行急行列車アルプス○○号。
待ち合わせたのは新宿駅の急行の出発ホーム。
着いた早々、なぜか笑われる。
先輩たちに。
今思うとそれは当然のこと。
何と言っても、私はその前の日に山行の道具を買ったのだから。
キスリング、シュラフ、登山靴、食器類、ポリタン、米など。
それらの物を買ったばかりのキスリングに手当たり次第入れて、4年生の卒論を書く先輩、もう一人の先輩の同級生、3年生の3人の先輩の待つ新宿駅ホームに現れたのだから。
リュックへの入れ方を知らない私は詰め込むはは詰め込むは・・・せっかく買ったキスリングも見る影はなく、あっちこっちが出っ張り、まるでジャガイモ状態。
今なら分かる
この事実。
その時は「何だろう」と思っただけで、どうして先輩たちが笑っていたのか分からなかった。
ひとしきり笑った後、先輩曰く、「そんな恰好では登れない。」と。
早速ホーム上での荷物の詰め方講習会。
コツは横方向に入れていくということ。
この後何度か山行を続ける中、上手になっていく詰め方。
そうこうするうちに出発。
途中小淵沢駅にて駅弁を買う。
その名は「高原弁当」、一口カツが数切れと高原野菜がつく、その当時としては、自分の住む地域では見たこともない、おしゃれな、高級感あふれる一品だった。
なんせその頃、極端に金がなく、学生生協で200円のAランチばかり食べていたのが思い出される。
ちなみにBランチが250円,Cランチが300円。生協のおばちゃんに大盛りでもないのに「大盛りお願いします。」と頼んでいたっけ。
松本から新島々、そしてバス。
ようやく上高地へ。
帝国ホテル、河童橋。
普通の観光の人たちはほとんど荷物など手にしてはいない。
それに比べて私たちは。
食料、テント、火器、コッヘル、シュラフ、食器、そして、ロープ等調査道具。
荷物の量が圧倒的に異なる。
空身だったらなんて楽だろう。
そんなこと考えながら、河童橋へ。
その後、徳澤園で一泊。
4,6で出発。(4時に起きて朝食、テント撤収、6時には出発。)
先輩曰く、「横を通って言ってもずっと樹林帯が続いて眺めがよくないから、パノラマコースで行こう。」と。
それは、前穂の前峰を超えて唐沢へ下りていくコース。
初心者にとってかなりハードなコース。
これにチャレンジすることになった。
その頃まだ若く、体育会を抜けてまだ数カ月、体力はかなりのものと自他ともに認めていた。
それなので、前穂の前峰を超える時、槍が見えるこのコースを選択してくれたのである。
ところが、私を含めた二人の初心者にとって山登りの真髄を思い知らされることとなる。まず、樹林帯でないばかりか大きな石がごろごろする安定感の悪い所を歩き続けることとなる。
気温は東京よりもちろん涼しいのだが、何と言っても夏。
直射日光を浴び続けるとこんなにも体力を消耗してしまうとは。
前峰への上りの途中で4年の先輩が動けなくなる。
バテバテで。
その時の卒論先輩の取った行動、責任感の強さは今でも心から離れない。
何と疲れ果てて体力を消耗してしまった動けない先輩のザックを自分のザックの上へひょいと載せ、一歩一歩確実に歩みを進める。
その後、私もバテバテとなる。
これまでの高校でも大学でも疲れ果てて動けなくなったとしても水を飲む、涼しい所で休む、等すれば、今しているトレーニングあるいは練習を止めることで何とかなったものだ。
ところがここは、大自然の真っただ中。
山行の途中で「一止めた。」というわけにはいかない。
とにかく自分の力で自分の体と荷物を担ぎあげねばならない。
全く当たり前のことだが・・・
最後の上りを歯を食いしばり、四つん這いとなって、喘ぎながら進んだのを昨日のことのように思い出される。
「登山は普通のスポーツに比べてすごく大変だ。」と言いながら。
「『体育館でやっているなら、もう駄目です。』といって倒れてしまえば、そこで終わることができる。ところが、山行はそうはいかない。」と。
「自分の命は自分できっちりと管理しなくてはならないのだから。」と。
三年生の先輩に声をかけていただき、励まして頂いてようやく前峰にたどり着くことができて、ほっとする。
ばてた先輩は卒論先輩が二往復して、励まされつつ、上がってきた。
その後4人で唐沢へ下りて行ったのは言うまでもない。
初めての本格的山行で、山登りは途中でやめられないこと、「あきらめ」すなわちそれは「死」を意味するのだと痛感した。
この貴重な経験を生かして、登り続けたのは言うまでもない。
<山行は人生の修行だ>