巷で憲法改悪のためのその1(第一次安倍内閣の時に国民投票法を制定しているので、すでにその2に入っているとも言えるが)として96条を変えようという声が上がっている。
いやこれは間違い。
巷で上がっているわけではなしに、議員がそうしたいと考えているだけ(人々は積極的に変えたいなどと、そんなこと思ってはいない)である。
人々はそんなことは全くお構いなしに日々の生活に追われ、ゆっくり考える時間がない。
そう、為政者は国民にゆっくり考える暇などあってはならないと思っているのである。
いや、考えてもらっては困るのである。
考えるゆとりを与えるとせっかくのチャンスを逃すことになるかもしれないから。
とにかく、今回がチャンス到来。
どうせ考えても無駄という諦め、厭世感が漂っているのである。
特に昨年12月の総選挙後、「誰がやってもだめだよ。」という諦めが…
これを待っていたのだ、自民党は!!
国民がこう考えることで、次の参議院選挙の投票率も下がり、よって自民、公明で安泰。
伸びても、「みんな」、「維新」くらいなものだから、とにかく「ねじれは解消できる。」と。
「遂に悲願の改憲の実現だ。」と。
絶対にこんなことを許してはならない。
特に9条を変えるために96条を変えようとしていることに危機感を覚えることが大事である。
というのも現在の96条は国会議員の3分の2以上の賛成により、国民投票に進む。
これを2分の1にしようというのだから。
最高法規であるところの憲法を容易に変えることができるようにしようというのだから。
そもそも憲法というものは為政者の暴走を許さないために、節度ある政治を行わせるために存在するという。
為政者を自重させ、縛るために。
その時その時の流れの中で最高法規をころころ変えるなんてことのないようにするために。
もし96条を変えるようなこと(国会議員の3分の2以上から2分の1への変更)があれば今後、その時々の政府によって憲法の頻繁な変更が可能となることを意味する。
為政者の想いのまま、憲法の変更が可能になるということを意味するのだ。
大変危険なことだ。
憲法が変わればそれに該当する様々な法律も当然変えられることとなり、私たちをこれまで以上に縛るものとなるのは火を見るより明らかだ。
そうなってしまってから「これはおかしい。」と声を上げた所で後の祭り。
様々な法律で縛られた私たちは、これまでのように声を上げることも容易でなくなっているのだから。
そして、「おかしい。」という声が上がったとしても、それこそ当たり前のことだが、行政はその法律に則って粛々と進めるであろうし、裁判所もその法律に則って裁判をするのだ。
誰もそれを止めることはできない。
法治国家であり、国民の代表としての国会議員が国会の場で決めた、もちろん違憲ではない法律なのだから。
こんな政治手法を使ったのがあの独裁者アドルフ・ヒットラーであり、この手法を虎視たんたんと再現させようと考えているのが、今は大阪市長=前大阪府知事橋下徹である。
当然人々にはわからないように、そして、ワイドショー的手法を使いつつ…
憲法を変えるには、今度の参議院選に自民党が大勝し、改憲を望まない公明党を切り、みんなや、維新と連立を組めば達成できる。
数合わせは完了する。
しかし、今後のことを考えた時、今96条を変えておけば後あとこれが役に立つと考えているに違いない。
だから、96条を変えなくともできる状況であるのも関わらず、あえて「96条」なのである。
国民は為政者の真のねらいを知らなくてはならない。
安倍首相の言う「取り戻そう日本」の意味を。
彼はまた68年前の暗黒の国に日本を戻したいと明言しているのである。
そんなことがあっては絶対にならない!!
戦前に戻すようなことがあってはならない!!
TPP交渉参加、オスプレイの飛行訓練、辺野古への移転、福島第一原発の収束、原発の再稼働、東北の復興など課題が山積しているのは事実だが、私たちは国会の動向にいつもアンテナを張り、注意深く見つめ続けなければならない。
今こそ、日本国憲法99条を忠実に守り、教育活動を続けていこうではありませんか!!
<「国会議員も99条を守れ!!」と言いたい>