某予備校教師の言葉がテレビに流れる。
この呼びかけ、予備校生、浪人生に呼びかけているのだろうけれども、私にはこう聞こえる。
今の世の中、これが今後加速級数的に速度を増し、改憲に流れていく。
そうなってからではもう遅いよ。
ブレーキが利かなるヴェイバーロック現象が起こってからではもう遅いよ。
でも、まだ「今なら間に合うよ。」という風に。
単なる予備校の宣伝をこんな風に聴く人は少ないのかもしれない。
でも、私には聞こえるのだ。
ここで闘わなくてどうする。
参議院選挙前のどさくさになってから、「さて」と考えるのでは遅い。
だから、「今でしょ!!」と。
昨年12月に政権が変わりました。
「コンクリートから人へ」という考えから、またもやこれまでの自民党政権よろしく「人より何よりコンクリートへ」という昔ながらの流れに変わりました。
それ以上にあの教育基本法を改悪した張本人である安倍首相になったことで、今度は日本国憲法が改悪される、また戦争のできる国、戦争をする国に日本が豹変していくことに対する危惧が懸念されています。
世の中にきな臭さを覚える時、私はいつも思い出す言葉があります。
それはドイツのワイツゼッカ―元首相の言葉です。
「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも目を閉ざす。」
という言葉です。
この言葉こそ、いま日本に生きる人たちが知り、感じることで、もう一度自分の立ち位置を考え直すきっかけになるのではないだろうかと思っています。
そしてまた68年前の戦争がそうであったように、教育によって戦争は作られていくと言っても過言ではないのです。
目の前の初対面の人をどうして殺せましょう。
話をしたでもなく、口論したわけでもない、その時生まれて初めて会った、出会った人を・・・その人には自分と同じように家族がいる。
もしかしたら昨日生まれたばかりの赤ちゃんがいるかもしれない。
新たな家庭を一緒に築くのを心待ちしている恋人がいるかもしれない。
どうしてそんなあり得ないことができてしまうのでしょうか?
そうです。教育です。
教育の力なのです。
戦前、戦中の学校ではアメリカ軍は鬼。
鬼畜米英。人間ではない。と教え込まれていました。
「人の心を持たない人を殺すことは善」という誤った情報を頭の中に刷り込まれ、インプットされることは大変大変恐ろしいことです。
これをしてきたのが、大日本帝国憲法下の日本なのです。
主権者である天皇は、「神」と崇められ、恐れ多い存在として人々の上に君臨していたのです。
それを支えていたのが、まさしく「教育」であり、「学校」だったのです。
今まさに学校を戦前に戻そうとしています。
いや、もちろん学校だけではなしに日本の社会全体を戦前に置き換えようとしているのです。
私はこれまで生きてきてまさに今が日本のターニングポイントだと思われます。
マラソンならばまだ半分くらいあります。
ですから、ある程度残された時間はあります。
しかし、もちろんマラソン競技ではないのです。
しかもこれまでの道は平坦ではなかったのです。
山あり谷あり、上ったり下ったりもしながら現在まで来ているのです。
もちろんピークはとうに過ぎ、近頃は下り坂をひた走りに走ってきたわけではありますが・・・
でも、どんなに景気が悪くなっても、デフレが続いても、賃金が上がらなくても憲法を変えてしまおうなんてことが国会を賑わすなんてことは記憶にございません。
もちろん自民党は「憲法改正」どころか、「自主憲法制定」を悲願としてスローガンに掲げ、これまできたということはよく知られたところでありますが・・・
戦争ができる国にするには憲法を変えると同時に教育を変えることが重要なのです。
戦後生まれが8割に届こうとする中、日本人はもう戦争なんてしないだろうと思っているのです。
ですから、憲法を少しくらい変えたって大丈夫。
これまでだって戦争なんてしてこなかったのだから・・・平気、平気ってなもので・・・
あまいのです。
平和ぼけなる言葉がささやかれていたのももう随分前になりますが、これまでに一度も、一字一句たりとも変えていない憲法を変えたらどうなるのでしょう?!
ついに前の戦争の反省を忘却の彼方に追いやったその瞬間、様々な法律は変えられ、教育はきっちり国家管理が貫徹され、戦争をするための、推進するための教育が全国展開するのです。
日本国憲法下において、自衛隊があり、日米安全保障条約が存在していても、どんなに日米軍事同盟強化をしたとしても集団的自衛権を保持していないがためにアメリカと一緒に戦闘に参加することは許されなかったという事実があります。
もちろん憲法第9条違反ということで。
憲法を変えることで、これまでできなかったことが法律に則った形で正規にできるようになるのです。
そうです、当たり前に戦争ができるということです。
反対に、政府が決めた戦争に対して反対などしたらさあ大変。
きっとまた「非国民。非国民。」とののしられるのでしょう。
先日、1・27オスプレイ配備反対集会の時に体験しました。
銀座あたりをデモ隊が通る時、日の丸の小旗を持った人たちが「オスプレイがいやなら、日本から出ていけ!!」「お前らは非国民だ!!」と罵られたのが思い出されます。
もう一度言います。
「いつやるんですか!!」
「今でしょ!!」
そうです、選挙の後では遅いのです。
何としてでも「改憲しようとする人」、「戦争を推進する人」、「戦争も仕方ないという人」、「その時考えますという人」を国会議員にしてはならないのです。
日本国憲法を守る人を国会議員にしなくてはなりません。
<ヒ コクミン>