
今年は東京にも雪が何度も降り交通機関の混乱や、大雪を予測して運転車両を間引いたが、雪は降らずに非難された交通会社もありました。
東北地方では、雪下ろしの出来ない高齢者世帯の雪下ろしをするボランティアやツァーもあります。
溶けない雪が圧雪され、その重さで家を押しつぶすこともあり、雪下ろしは今でも大切な仕事と思います。
その頃新聞に、校長が一人で屋根の雪下ろしをしていて、落ちて埋もれて亡くなったことや、屋根から滑り落ちた雪の下敷になり亡くなる事故も良くありました。
小学校高学年の頃から私も屋根に上がり、雪下ろしを良くやりました。
家の南側は陽も当たるので雪は溶けやすく、北側の部屋は雪が窓全体を覆い冷蔵庫のような感じでした。屋根は雪が滑り落ちやすいようにトタンでした。
北側は雪が溶けないので、屋根のひさしまであり、すぐに屋根の上に上がれました。
雪のないトタン屋根に上がり、走り回ったり上から走って飛び降りて、全身が雪の中に首まで埋もれて遊んだこともありました。
スキーは山の畑の斜面や、山の木々の間を抜けるように滑りました。
スキーを逆ハの字にして、山のてっぺんまで上り、一気の直滑降で滑り降ります。
その跡を踏み固めて、何度も滑るのです。だから回転などやったことはありませんでした。
東京に勤めて初めてスキー場に行ったとき、圧雪された雪の硬さと人の多さで、怖くて滑ることに躊躇したほどでした。
水は地下から湧き出る大きな堤があり、そこから家の側まで水路を引いた水小屋がありました。
そこで、魚をさばいたり野菜を洗ったり、洗濯・洗面などしていました。
夏はスイカも冷やしていました。
これは、田畑の農業用水も兼ねた飲料水でした。
風呂は外に風呂小屋があり、五右衛門風呂にバケツで何杯もの水を汲んで薪で沸かしました。
冬は外では雪に埋もれてしまうので、土間のある納屋に入れて風呂を沸かしていましたが、火の粉が飛んで藁が燃えるのではないかと心配したものでした。
夏は風呂小屋の、薪の熾火でトウキビを焼いて食べるのが楽しみでした。
冬はそれなりに大変でした。
水小屋に行くことはあまり出来ないので、大きなバケツに水を汲み置きして台所で使います。
真冬ともなると気温も0度以下になり、水の温度も0度近くになります。
水小屋からバケツで汲んできた水が静止したとき、バケツのふちを指で弾いて振動を与えます。
すると、バケツの両側からサササササッーという微音と共に、ノコギリの歯のような薄い氷が一瞬のうちに張り巡らされるのです。
とても面白くて、水汲みのたびに遊んだものでした。
朝になるとバケツの上下全面に、厚さ1cm近くの氷が張り、柄杓の柄で氷を叩き割って、その飲んだり顔を洗ったりしまし。
冷たく手が痺れるほどでした。
小学生までは北国の大自然と共に生きて、それを受け入れて生活していたように思えましたが、中学生になってから農家の生活を素直に受け入れられない気持ちが湧いてくるようになり、「農業高校に行きたくない」と思うようになりました。
(続く)

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