新聞を見ていたら、東京都が来年度から都内の全小学校で一日60分の遊びを義務づけるとか。

スポーツテスト等の結果が悪く、体力の低下が懸念される。
そこで、日頃外遊びの機会が少ない都内の子どもたちに強制的に遊ぶ機会を与えようというものだ。

教育委員会の指示で時間設定が義務付けられると、学校はただでさえ窮屈なカリキュラムに無理やり入れ込もうとするにちがいない。
そして、教員もそこに付き合わされるだろう。

一日60分ということになると、いわゆる中休みと昼休みでは足らず、業間を増やしたり始業前を使ったりする学校も出てくるかもしれない。
子どもたちにしても、勝手に遊ぶ方が楽しいだろうに。

とにかく、役所が出てくると、遊びまで管理されたものになるにちがいない。

一斉学力テスト同様に、何でもテストして調べるのが好きなこの国の関係お役所。

体力が落ちているくらい、テストしなくても分かりそうなものだ。
もっと実感を大切にしてものを考えるべきだ。
そして、現場の自由で創造的な取り組みを尊重してもらいたい。

役所に必要なのは、現場が気づかない部分で大切な視点を示唆することや、実践する時間や人的物的な保障である。

そもそも子どもたちが外遊びしなくなったのは、社会的な生活環境が変わってきたことや、学校が「学力」にとらわれて子どもたちの遊びを奪ってしまったからではないか。
その意味では、もっともらしく遊びの義務化をうたう当局自身の責任ではないのか。

ここに注目すべき調査結果がある。
ある保育園で、子どもたちに万歩計を取り付けて運動会を挟んで数ヶ月間の記録をとった。
その結果は、運動会の練習を始めた時から終わるまでの期間に歩数が低下していたそうだ。
つまり、体力をつけることも目的の一つにした運動会を実施により、かえって運動量が減ってしまったのである。

これは、学校にも言えることではないだろうか。
集団行動の仕方を指導する等々の理由をつけても、結局のところは見世物(ショー)にすぎない。
体育的側面から運動会は再考されるべきと思う。

学ぶ主体は子ども自身であることを考え、大人は余計なことをやらせたり手を加え過ぎてはならない。
例え体力が落ちたとしても、学校で強制的に遊ばせるというのは干渉しすぎではなかろうか。
要は、子どもたちが自ら体を動かそうという条件なり契機を設けてやりさえすればすむことだ。


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