
日差しは春の暖かさがたっぷりなのに、ここ一週間はとても寒い日が続いている。
鉢植えの福寿草が咲いているのに、庭の日陰は今朝も霜柱がサクサクと立っている。
私が大学卒業まで住んでいた田舎は、北海道でも豪雪地帯でした。
一晩に1mもの積雪があったり、吹雪で前も見えず歩けないくらいの時もありました。
道は車も通らず学校に行こども達のために、農家の誰かが三角形の台のような物を馬で引っ張り、道を付けてくれたものでした。
道が何もないときは、誰かの足跡の通りに歩いていったり、腰まで雪に埋まりながら「雪を漕ぎ分けて」登校したことも記憶にあります。
大人の足では10分程度の道も、子どもにとってはとてつもなく遠い距離でした。
長靴の中は雪でグショグショになり、足は凍傷で赤く腫れて膿んでくることは毎年のことでした。
そのうち、スキーを履いて登校することも多くなり、それなりに楽しむことも出来ました。
寒さは半端じゃなく、マイナス20度近くになることも度々でした。
その頃の家は土に藁を混ぜて断熱した壁に板張りをした程度なので、すきま風が部屋のあちこちから入ってきました。
夜寝るときは毛糸の帽子をかぶるか、手ぬぐいで頬かむりするかしないと寒くて寝られませんでした。
朝になると部屋の隅に雪が吹き込んでいたり、吐く息で布団の襟元が、薄く凍りついていたこともしばしばありました。
少し生活にゆとりが出た頃、「豆炭アンカ」を兄弟に一個ずつ与えられ、それを抱いてあったかく幸せな気分でした。
また、冬になると当時の子どもの達の殆どは、おねしょをしていました。
おしっこをしたくても、寒さと眠さで目が覚めなかったり、便所が納屋などにあって遠くて、しかも電気のないランプの生活だったので、懐中電灯か安全灯というランプを持って行かなければならないので、怖さもあってついつい布団の中で漏らしてしまうのです。
ちなみに私も目が覚めず、何度もおねしょをしました。
そんな時は、いつも決まって同じ夢を見ていました。
夢の中でおしっこがしたくてしたくて、トイレを一生懸命に探しているのですが、なかなか見つからない時と、やっと見つかる時があります。
見つからない時は、たいてい目が覚めてトイレに行きますが、夢の中でトイレが見つかるとアウトです。
トイレが見つかって思いっきりしていると、「あれ、いつまでたってもおしっこが終わらないなー」とか「なんだか温かくなってきたなー」と気がついて我に返ると、既に漏らし終わっているのです。
そんな夢を三年生くらいまで、何度も何度も見たものです。
ところが、最近同じような夢を見ることがある。
中高年の男性が誰しもかかる病のせいであるが、「歴史は繰り返さない」よう、寝る前の水分摂取に気を付けている。
ちなみに村に電気が引かれたのは、四年生になった1956年(昭和31)のことだった。

(冬編 続く)
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