2011年3月11日まで日本の原発は54基を数えていた。
しかし、東日本大震災が起こった日を境として一気に4基減る。
震災により崩壊し、廃炉にするより仕方なかったからだ。
フクシマでは4基の原子炉の廃炉に向けて日夜作業が続けられているところではあるが、何と言っても地震と津波によりぐしゃぐしゃとなっているばかりか、高い放射線に覆われ、遅々として進まないというのが現状なのであろう。
それどころか、放射性廃棄物の処理が確定していないままの状態で始まった原子力政策であったが、その中での今回の事故である。
正常な状態であっても廃炉に30年、そして原子炉から出た高レベルの放射性廃棄物はなんと数百年単位の時間をかけて管理処分しなければならないということはよく知られているところである。
大地震、そして、原発の崩壊。
元の福島を取り戻したいという気持ちは分かる。
しかし・・・
1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発事故がそうであった通り、事故前の風景に戻すことなど到底できないのである。
そう、そこには目には見えない、においもしない、放射能というものが生きとし生ける物物を覆い尽くし、支配し、日夜、すべての物物に襲いかかり続けるのであるから・・・
どうしたらよいのであろうか?
現状を打破するために為政者たちが考えていること、それは「フクシマを捨て、違う所にもう一つの新たな福島を作る」しか方法はないということ。
そのために虎視たんたんと機会をうかがっている。
そればかりではない。
フクシマ以外の原発が立地する場所も同じである。
必ずや廃炉になるのであるから、30年間という廃炉への工程が必要なのである。
そして、高レベル放射性廃棄物を受け入れるところなど全国どこにもありえない。
ここは日本。
フィンランドのように30万年、原発のごみを管理していくなんてことは到底あり得ないことなのであるから。
そもそも地震国日本において、自分の子孫に放射性廃棄物のごみ捨て場としての自分の住む場所を残したいなどと思う人はいないはずだから。
すなわち、いまある原子力発電所=まさにその場所が数百年間の管理処分を行う地となるのである。
いや、ならざるを得ないのである。
そしてまた、地震は起こり、放射能汚染は繰り返される。
その地域住民は別の地に移住せざるを得ない。
「またもや歴史は繰り返される!?」
白砂青松ののどかな日本の過疎地が大都市の電気、不夜城を支え、原発労働者が自分の命を懸けて原発そして、その地域を支え続ける。
地域住民は原子力発電所立地に対する危険手当としての様々な箱モノを手にする。
しかし、挙句の果てには放射性廃棄物の管理人以外の全く人の来ない無人地帯と化すのである。
そこに残るのは、いつ、地殻変動によってはじき出るかもしれない高レベル放射性廃棄物だけ・・・
せっかく日本においても「原発を止める」という全く正常な流れとなったのも束の間、またもや後戻り。
「木を見て森を見ず」とはよく言ったものだ。
「これが日本だ、私の国だ。」
ドイツ、ワイツゼッカ―大統領の言葉が突然頭をよぎる。
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも目を閉ざす。」
「ほんとだよな」とつくづく思う今日この頃です。
<もうすぐ2年>