連れ合いの実家を取り壊すことになり、その片付けを手伝った。

連れ合いの母親は美容師として94才まで生きたが、物持ちが良く「もったいない精神」の鏡のような人であった。
大正生まれという年齢のせいもあり、物を捨てるということが出来なかったのかもしれない。

生きている時は、己の信念をひたすら守り抜き、既に還暦になっている長女の美容師にも、「まだ仕事は任せられない」と店の経営権を譲ろうとはしなかった。
電話予約の受付と客の話し相手以外は、出来なかったにもかかわらず・・・・。

連れ合いと私は、「店を譲ってあげても良いのでは・・・」「任せられないといっても、世間では退職の年齢になっている」と言った事があった。
無言ではあったが強い表情で見つめ返され、見えない拒否のエネルギーを強く感じた。
当時の母の気持ちとしては、経営権を我が娘に譲ると、自分が信念を持って生きてきたこれまでが、崩れ去ってしまうような侘しさに囚われていたのかも知れない。
そして、店の経営が何よりも生きる力になっていたに違いない。

その偉大なる母が亡くなり、残された者が後片付けをすることになるのだが、これが大変な作業であった。
押し入れの殆どが衣類で溢れ埋まっている。
銀行から貰ったものと思われる年賀のタオルが、ダンボール三箱も出てきて驚いたり。
また、箱に入ったままの引き出物が、次から次へと出てくる。

食器戸棚からは、使った事のないグラスやカップ・お皿なども続々と出てくる。
そして、電気・ガス等の領収書や銀行からの預金額のお知らせの葉書なども、紙箱の中から出てくる。
本当にマメな人だ。
美容室のレジスターやパーマの器具は、「三丁目の夕日」に出てきそうな昭和のレトロな感じのままであり、これはレア物といたく感心した。

実家の不用品整理はまだ終わっていないが、我が身に置き換えていろいろ考えさせられた。
使い終わって既に不要な物を、なぜ捨てなかったのか。
一度も使っていない貰い物や引き出物を、なぜ使わなかったのかと思った。
多分「いつか使える」「いつか使おう」と残しておいて、結局使わないままになってしまったと思われる。

だが、我が家も他人様のことは言えない。
自分の部屋の中も同じことが言える。
二度と読まない本や雑誌・教育や組合関係のパンフレットで埋もれている。
3.11の大地震の時、本棚は総崩れになり足の踏み場もなくなる程だった。
それでも、その時はまだ捨てられなかった。

しかし、今は決断できる。
まだ元気なうちに思いっきり捨てようと。
本人が生きている時は、その人にとって価値のある物や思い出に残る品物や写真であっても、本人が亡くなれば残された者にとっては、価値のあるものとは言えないし、ゴミ扱いされることは間違いない。
しかし・・・。

田中正造のように何も残さないで、「崇高に死ぬことは無理」と思いつつ、何から捨て始めようか、どれを残そうかとあれこれ決断が鈍ってしまうのである。       



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