足立区が4月から、学力の伸びない小中学校のレベルアップを図るため、教育委員会に教育次長職を新設して学校現場を指導する方針だという。

例の学力テストの結果が芳しくないということを根拠にしているが、果たしてOB校長の指導で「学力」は向上するであろうか?

教育次長の下に位置づく学力定着推進担当課の課員がOB校長というわけだ。

彼らが、学力テストのデータ分析をして個々の苦手分野を把握し、補習や宿題の内容を検討するということだ。

これに対する現場の校長サイドは、あまり歓迎していないようである。
子どもの指導に直接当る教員たちだって、喜んで受け入れる気持ちにはなれないであろう。

足立区が「都内でも非常に厳しい状況」であると受け止める原因となった東京都の全校学力テストは、実施後にどのような施作を講じるつもりだったのか分からないが、「学力が低い」と判定された区市町村にしてみれば、行政が何もしないのはまずいと判断したに違いない。

「学力」とは何かを今は問わないにしても、OB校長たちを使うという発想した時点でもう終わりである。
現場を少しでも知っている人間なら感じるであろうことが、ここでは一切考慮されていない。

まず、最も嫌がるのは現職の校長連中であろう。
退職したはずの先輩校長が、また登場して指導されるのである。
お山の大将でいたい彼らからすると、目の上にたんこぶができた感じであろう。

どんなOB校長が採用されるのかにもよるが、近年、質がますます低下する校長連中を見聞するにつけ、何か指導というものができるのか甚だ疑問である。

もっとも、上意下達に慣れていて教員を管理することやいじめることに堪能なOB校長は、使う側の行政にとっては都合が良いのかもしれない。

しかし、「学び」を組織することができなかったり、権力が欲しくてなった校長という人物に、再び現場を委ねて良いものだろうか。
例外も中にはあるが、労働者感覚は愚か生活者としての感覚に疎い学校管理職あがりの連中に、経済格差からくる「低学力」の背景を考えたり、それを是正する動きが取れるであろうか。

「生活保護世帯を再生産しないためにも最低限の学力は身に付けさせたい」という行政側の思いは、当然ながら十分理解できるものである。
この思いを具現化するには、上からの指導ではなく現場の創意工夫やゆとりを大幅に認めたり、あるいは、地域の生活空間での自主活動等に財政面を含めた支援をすることが先決ではなかろうか。

貧困からの脱却という大きな課題を共有できるならば、退職校長の天下り先を用意したとも受け取られかねないこの愚策は早急に引き下げ、何のために「学力テスト」をやるのか東京都に問いつつ子どもの幸せと未来を根本から考える土俵につくべきである。


<すばる>