東京では大雪?が降るとけが人が急増するのはよく知られたところである。
20センチ、30センチ、あるいは40センチ?こんなに降ることは、まず、ない。
では何センチ?これまで1センチで何人、2センチでその2倍、3センチで・・・というような状況であるというのが続いている。
そして8センチで「電車が止まる」ということが先月、成人の日に起こったのは記憶に新しいことだ。
新潟で青森で「その程度の積雪で電車が止まる!そんなことがある!!」と言ったら笑われる。
これでは、雪の多い地方では、冬季は常に「ゼネスト状態に陥る」ということになってしまうのだから。
もちろん、雪が多いのだから、必然的にそうなることが歴史的にも続いてきたことは否めない。
でもそこに住む人々は、そうならないようにいろいろな対策をずっと昔からしてきているのである。
人々が暮らせるように。
首都圏、特に東京区部という所はたくさんの人がいまだにモーレツ社員がごとく働き続ける場所である。
さて、今回のように大雪が降ると予想される時、どうすることがよいのだろうか?
久しぶりの大雪の中、早起きをしていつもの朝と異なる行動様式で各職場、学校に行くのを止め、それぞれの人々がやろうと予定していたことを当たり前に休止するということを選択してもよいのではないだろうか。
たいがいの経済活動を休止し、久しぶりの雪を心安らかに眺めることを多くの人々が選択するのである。
もちろんどうしても働かねばならない人たちはその限りではないのだが・・・
こうなるためには、一人一人がまず市民として活きていなくてはなるまい。
臣民ではだめなのだ。
そして、もちろん一人一人の働く人が使用人ではだめなのである。労働者でなくてはならない。
「明日は久しぶりの雪なので、滑って危険。こういう日は、家でゆっくりしていることが大事。」とかなんとか言いながら、雪を眺めながら物思いにふける、本を読む、家族団欒をするなどなど、心にゆとりを持ち、また次の日への英気を養うことが大事なのだ。
人の生きる時間は限られているのだ。
「そんなに急いでどこへ行く。」懐かしい言葉だ。
<明日はすべりません>