大阪の高校運動部の体罰・自殺事件がマスコミで取り上げられました。
それに続いて、今度は柔道界における監督の暴力パワハラ事件が明るみに出て問題になっています。
私は、自分の学生時代の嫌な思い出が久しぶりに蘇ってきました。
運動が好きだった私は、教育学部体育を専修にしました。
これが失敗の始まりでした。
学部の体育教官の多くは、戦争を体験した者でしたから、その指導法も軍隊調でした。
一つの単位を取るにも大変な思いをしました。
何で大学まで来てこんな命令を受けながら授業を受けなければならないのか、途中で投げ出したくなりました。
まして学生運動が盛んな時でしたから、私は迷わずそちらの運動に切り替えました。
因みに、それ以後、「運動」といえば体育的なものではなく、政治的なものをさすようになりました。
大学で最後まで単位を取れなかったのが水泳です。
もともと泳ぐのが苦手だった私は、あの雰囲気の中で水泳の授業なんて、想像しただけで身が縮む思いがしました。
やがて、その時がやってきました。
6月の小雨降る東京湾、館山の自衛隊基地につながる浜辺に集合させられた私たちは、泳力に応じてグループ分けされ隊列を組んで沖に向かって泳ぎだしました。
平泳ぎさえまともにできない私は、当時最も得意だった横泳ぎをしながらみんなについて行きました。
しかし、折からの悪天候で体が冷え込み、次第に手足が動かなくなりました。
見るに見かねた舟の上の教官は、体育科の優秀な女子学生に救助するように命じました。
「先輩大丈夫ですか!」と私の顎を持って泳ぎながら教官のいる小舟まで運んでくれました。
嬉しいやら恥ずかしいやら、複雑な気持ちになってる私の心境なんて一顧だにせず、教官はしばらくすると再び海につき落としました。
何とかゴールできたものの、就寝前の点呼で大声で番号を唱えさせられた時、何とも言えない屈辱感に苛まれました。
その点呼も整列時の号令も報告も、全てが軍隊調でした。
自衛隊基地周辺での訓練が、その中身を象徴していました。
卒業単位を獲得するための止むに止まれぬ体験でしたが、この他にも体育科ならではの特殊な指導という名のしごきを受けたものです。
また、こんなこともありました。
全学ストに突入しバリケード封鎖した私たちに対し、徒党を組んで封鎖解除の行動に出たのは体育科の学生でした。
当時、マスコミは私たちを新左翼と表現していましたが、その意味では体育科学生の大部分は右翼でした。
私自身は直接的暴力は受けませんでしたが、鍛錬的な指導があったり精神的には相当なダメージを受けました。
こうした体験から、体育やスポーツというものに私なりのイメージが形成されたわけです。
つまり、知性や人間性とはかけ離れた愚劣で暴力的で封建的で民主主義の精神がみじんもないもの、そういうものでした。
ですから、スポーツ観戦は好きでも、何処かに「この選手たちも、あんな試練を経験してきたのかな」という気持ちを抱きつつ見ていました。
もちろん、「体育会」などという代物は大嫌いでしたし、軽蔑さえしていました。
こんなことから、最近のニュースを見ていると、「何も今に始まったものじゃないよ。昔からずっと同じだよ」と言いたくなるのです。
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