私が園芸や野菜作りが趣味なのは、生まれ育った環境による影響が大きい。

もともとは農家の生まれで、周囲は山々ばかり。
四季の移ろいとともに生活が成り立っていた。

冬の寒さは筆舌に尽くし難く暖かいのは薪ストーブのある居間だけであり、すきま風とともに雪も吹き込む部屋はリンゴや生卵も凍ってしまう程だった。
凍った生卵など知っている人は、今はもう誰も居ないだろう。
だから、当時の雪国では野菜の貯蔵は雪の中だった。
といっても、畑の土の上に大根・人参・じゃがいも等の野菜をおき、わらで作った円錐状の物をかぶせ、その上に土を盛って覆った「室=むろ」の中に貯蔵していた。

思いのほか中は、暖かだった。
昔の教科書には載っていたが、今は農家でも「室貯蔵」は殆んどやっていないと思う。
しかし、今は雪を利用した「雪室=ゆきむろ」として、コメの長期低温保存とか様々に活用されている。
 
それは、ともかくとして、春は閉ざされた冬から、全ての植物が一斉に芽吹くときで、生命の躍動を感じるウキウキとした気分になれる季節だった。
山菜採りは子供の仕事、役割だった。
ヨモギは餅に入れるため、土から出た柔らかい新芽を採り、山ではフキ・ワラビ・ゼンマイ・ウド・アイヌネギなど採りに行かされていた。
また、湿地帯にはセリが生い茂り、カマで刈り取って食べていた。子供の頃はセリやウドは匂いや味が馴染めず、美味しくもなんとも思わず、嫌いな食べ物だったが今はとても美味しいと思う。
 
こどもの頃はいつもお腹を空かせ、食べられそうな植物はなんでも口にしていたので、よく腹痛を起こしていた。
ススキの柔らかい穂や、イタドリの柔らかい茎に塩を付けて食べたことを思い出す。
夏はグミの赤い実やグースベリーの実、山桑の黒い実など食べ、秋には山ブドウやクリなど、良く採りに行った。
キノコも毒キノコと見分けるのが、こどもには難しく、近所に毒キノコを食べて亡くなった女の子がいた。
兄弟四人の長女である二年生の彼女は、自分が先に味見して亡くなったという。
子供の頃の悲しい記憶である。
だから、キノコというと落葉樹に生えるナメコしか知らなかった。
 
今から思うと自然環境の豊かなところに生まれ育ったと思うが、こども心にはこんな山奥で泥まみれになって馬の尻を叩きながら、コメ農家は一生やりたくないという気持ちがあった。
そんな事情を察してか父親から高校進学のとき、農家の長男は誰もが行く農業高校に進学しなくとも良いと言われて、ホッとしたことを今も思い出す。
 
歳を重ねるとともに土いじりに抵抗がなくなりそのうち好きになりと、生まれ育った環境の力に突き動かされる日々が多くなってきている。 (続く)