石原慎太郎が都知事を辞めたのはいいが、この後の都知事に石原的な人間を就かせてはならない。
後継と称して猪瀬直樹副知事を指名した傲慢さも、いかにも石原流だ。
また、前回、石原からエールを送られて出馬しようとした松沢氏は、寸前になって梯子を外されたが、今回あらためて出馬表明。

そして、11月9日、元日弁連会長の宇都宮健児氏が出馬することになった。
多くの市民団体からの要請を受けての出馬だ。

さて、そんな折、11月8日の東京新聞社会面に「神武天皇陵を参拝」という小さい記事が出ていた。
秋篠宮夫妻に連れられた長男悠仁が、奈良県橿原市の神武天皇陵を参拝したということだ。

皇位継承問題が騒がれて数年たつが、皇太子の弟に男子が誕生したということで次第に皇室典範改正とか女性天皇問題等の話は消えつつある。
悠仁は皇太子、秋篠宮に次いで第三位の継承権を持つので、今から帝王教育をということだろうが、神武天皇陵参拝というのが如何にも・・・という感である。

戦後の歴史学で、明確に史実ではないとされた神武天皇であるが、その天皇即位の日が西暦紀元前660年2月11日であるとして、この国は1967年にこの日を「建国記念の日」と定めた。
「弥生時代」のことがどれだけ解明されたか未だに不明な中で、九州の日向から瀬戸内を経て熊野からヤタガラス(3本足のカラス?)に導かれて大和を制圧して初代天皇になった等というまさに古事記や日本書紀に基づく、誰の目からも史実とは異なるデタラメさ加減である。

石原は、学校現場で日の丸・君が代を強制した。
どんな嘘であっても、民衆支配には天皇の力を借りたのである。

卒業式や周年行事において、自分の意志とは無関係に歌っても「『君が代』をしっかり歌えたみなさんはとても立派です」と区長等は決まったように子どもたちを褒め称える。
こんなことが日常化しつつある東京の学校である。
実に恐ろしいことである。

「建国記念の日」制定から1999年の「国旗国歌法」制定を経て今日に至るのであるが、竹島・尖閣問題を取り上げて偏狭なナショナリズムを煽っているのが昨今の状況である。
これは、原発事故により国家が威信を失い、嘘と金と権力で塗り固めた実態が広く明らかになりつつあることと無縁ではない。

私たちは騙されてはならない。
口をふさがれてはならない。
脅かされ、怯んではならない。

宇都宮氏は、脱原発はもちろん「日の丸・君が代」強制を撤回する政策も掲げるという。
今度こそ、まともな都政を復活させようではないか。


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