今年の夏は計画停電もなく、そんなに節電節電という声も聞かれず、連日連夜のオリンピックの映像だけがテレビ画面を、新聞紙上を占拠していた感が否めません。
日の丸と共に。
これも2020年東京オリンピックに向けての世論操作の一環なのでありましょうが・・・・・

さて、そんな中2012年夏季教研合宿を昨年に引き続き福島県で行いました。
昨年は、いわき市において津波の猛烈な破壊力のすさまじさを目の当たりにしてきたところであります。今回は福島第一原発事故による放射能汚染について現地でお話を伺い、線量計及びベクレル計を使って実測を交えての学習となりました。

避難地区外の郡山市内においても今でも空間線量は0.5μ㏜を超えています。これは、「『レントゲン室』の中で毎日の生活を送る」ということを意味するのです。
放射線管理下での日常。レントゲンを撮る、ものの数分足らずの時間であったとしても、その部屋においては放射線技師の存在が不可欠であるというのに・・・
フクシマでは信じられないことがまかり通っていたということなのです。

きちんとした正確な情報を政府が伝えないために。そればかりか、「隠蔽する」という暴挙を行っていたという事実もご存じの通りです。
それにより、避難した場所でまたもや余計に放射能を浴びてしまう、あるいは、住んでいた場所よりも避難した場所の方の放射線数値が高かったなど、ありえないことが当たり前に起こっているのです。
すべてが「隠蔽」によるものなのです。

郡山教育会館の外での実習では土よりもコンクリート上の方の線量が高くなっていました。(土では下へ行ってしまうが、コンクリートでは除染した後も隙間にこびりついた放射能がいつまでも存在し続けるとのこと)。
また、出入り口そばの水がたまりやすいところの線量が驚きの数値を示すのを目の当たりにしました。

川内村(避難解除されている)へ行く途中の景観の変わり方が印象的でした。というのも、郡山では田があり、稲が夏の陽を浴びて一面青々とした風景が見られたのです。
ところが、川内村へ行く間に田んぼの風景は見られなくなったのです。
これまで田んぼだったと思われる所にただただ生い茂る雑草。人の手が感じられない風景へと変わっていきました。
少なくとも一昨年の今頃はそれぞれの田んぼには青々とした稲が強い日差しの中キラキラと輝いていたに違いありません。
でも、あの日以降、人の手が入っていないのです。

これまで、減反によって田んぼの一角が草ぼうぼう、あるいは、他の作物を作っているという光景を目にしたことはあります。全国津々浦々で。
でも、そこらじゅうの田んぼ全てが放棄されるのは見たことがありません。

村役場前や中学校の校庭で測ってもそれほど高い数値は出ませんでした。それもそのはず、きちんと除染をしているのですから低いのは当たり前かもしれません。
しかし、人の姿は見受けられません。
100人を超える子どもたちが学んでいた中学校もまだ15人しか戻ってきてはいないとのこと。

原発事故による突然の避難。何十キロも離れた所へ取るものもとりあえず、着の身着のままでの避難。
避難したところの線量が高いためにまた避難。突然、当たり前に住める家を離れなければならず、保護者は仕事を失い、見知らぬところでの避難生活。
思春期の感受性の強い子どもたちにとって何と過酷な仕打ちであろうか。一人一人個別に対応することが必要であるという。
しかしながら、過配となってはいるが、それでも教員の数が足りない。一人一人に寄り添い、心のケアをしていくには・・・

津波で大きな被害にあった所は日々の作業で日一日と復興しています。カメの歩みのようであっても。
ところが、フクシマでは放射能汚染によってそれもままならないのが現状なのです。

私たちは、フクシマで作った電気をこれまでずっと享受し続けてきたのですから、今回のこの事態について責任を感じなくてはなりません。
政府がフクシマを見捨てることのないようにいつも注意深く監視し続けなければなりません。
何をどう支援していくかをいつも考え、発信していく義務があるのです。
と同時に、このようなことを2度と起こさせないためにも、原子力発電所を全て廃炉にしていく必要があります。

そしてまた、世界に向けても「ノーモア、ヒロシマ、ナガサキ」に加えて「ノーモア、フクシマ」を声高に訴えていくことが大事です。
人類が地球上に住み続けていこうと考えるならば。子孫にこの青い地球を引き継いでいこうとするなら・・・


私たちの目の前に高く積まれた課題は膨大です。
退職金の削減、成績率導入阻止等をはじめとした賃金確定闘争、先ほどから等々と述べた原発の廃止、小泉新自由主義構造改革の流れを完結させるべく仕組まれたTPP問題。
沖縄へのオスプレイ配備問題。
石原都知事が絡む尖閣諸島問題、そして、維新の会躍進による憲法改悪への流れ。
私たちはいつも多忙にかまけることなく、日本の破滅への道に警鐘を鳴らし続けていかなければなりません。



<南の>