学校は夏休みに入った。
この時期こそ、子どもも教員も公教育から解放されて自由になるべきなのに、E区の教育長は教員に仕事を押し付ける。
E区の教育広報紙に掲載されたA教育長の巻頭言は、自らの子ども時代を「食事の時間以外は、外で遊べと言い渡されている私たちは、時間をつぶす工夫を続けたものだ。当時の夏休みは、有り余る時間をいかに退屈しないで過ごすかを考える貴重な体験の連続であった」と、肯定的に振り返っている。
時代は変わっても、「学校を離れて、子どもたち自らが考え、成長する時間であることに変わりはない」と断言するAさんの考えは妥当である。
しかし、Aさんは区内のどれだけの学校で、子どもが「自ら考え、成長する時間」が保障されているか把握しているのであろうか。
宿題やら夏季プールやら子どもたちに多くのノルマを課しているのが現実である。
仮に、「私のクラスは子どもたちに自由に過ごさせます」等と宿題を出さない教員がいたらどうだろうか?
親たちのクレームから教育長は守ってあげるだろうか?
さらに、問題なのは教員に対する注文である。
表向きは「夏休みの時間は、現代の慌ただしい日々の仕事を振り返り、自分を磨くことのできる大切な時間かもしれない」としながらも、次のような行動を奨めている。
・地域の夏祭りを見て歩く。(子どもたちの学校とは別の顔を知り、地域の人々と顔見知りになる。)
・すくすくスクールに顔を見せる。(勉強を教えたり、得意なスポーツや遊びで時間を過ごし、すくすくとスクールとの精神的垣根が取れて、学校生活に幅ができる。)
・職員全員で学校図書館の整備に取り組む。(自分で汗をかいて整理された図書館には愛着がわく。)
こんなことをして教員は自分を磨くことができるのであろうか。
「やっと学校や子どもから解放されるかと思ったら、またこれかよ・・・」って感じじゃないかな。
こんなA教育長のことばを真に受けて実践する教員は、2学期、さらに余裕のない社会性のない疲れてカサカサになった姿を子どもたちの前に晒すことになるに違いない。
Aさんは、はたして自分の言葉にどれだけの責任を持つのであろうか?
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