つい最近、元衆議院議員の山尾しおりさんがFacebookに以下のような投稿をしました。
全文を投稿通りに紹介します。(下線は筆者)
今日出演のアベプラで国旗損壊罪がテーマになるとのこと。外国の国旗損壊罪はあるのに、日本の国旗損壊罪がないけど、どうする?というのが論点です。
私は、世界の秩序を国という単位で回していく以上、自国であれ他国であれ最低限、「国家」という存在へのリスペクトは担保した方が、対話が維持され、平和につながると思っているんですよね。
だからこそ、今ある外国旗損壊罪は、日本人が外国の旗を燃やして特定国の存在を侮辱するようなことを抑止しています。国と国同士が抜き差しならないヘイト関係に陥らないように、とにかく対話の余地を残すという大事な外交作業に、最低限日本国民も協力してもらう。そういう意味で、現行の外国旗損壊罪には理がある。
そして同じような考慮で、日本人が日本の旗を燃やして、日本という国家そのものを拒否するようなことは最低限抑止されるべきではないか、とも考えています。日本政府への批判は常に許されるべきだけど、日本という国家の尊厳と帰属の維持には、最低限日本国民として協力してもらう。そういう意味で、日本の国旗損壊罪を作ることに賛成です。
ここで大事だと思うのは、政府と国家は別、ということ。
総理の似顔絵に✕をつけてデモするのは自由の範疇だけど、日本人として日本の国旗を燃やすのはやめましょう。なぜなら、あなたは政府の一員ではなくても、国家の一員なんだから、というのが私自身の価値観です。
そして、もう1点。この機会に、今ある外国の国旗損壊罪が外国の親告罪となっているのは改めた方がいい。具体的には、当該外国の請求がないと起訴できないという要件(刑法92条2項)を削除すべき。日本の警察・検察権の行使は日本の主権の行使ですから、外国の請求を条件とするのは基本おかしな話です。外交配慮は起訴裁量の運用で十分可能。自国の主権を自ら法的に制約する必要は全くない。
自国の国旗損壊罪には当然こんな要件はつけない訳なので、この議論を契機に、外国の国旗損壊罪の不要な要件を削除して、きちんと日本の主権と意思を守ってもらえれば、と思っております。
(山尾しおり)
私は正直言って大変驚きました。
「保育園落ちた 日本死ね!!!」問題を国会でとりあげ、当時の安倍首相に鋭く質問で迫った議員、それが山尾志桜里(当時民進党所属)衆議院議員だったのです。
更に山尾志桜里さんは「不倫」騒動でも話題をふりまいた人でもあります。
私の好きな作家のひとりである瀬戸内寂聴さん(2021年11月9日没)が、かつてエッセイ『寂聴 残された日々:27』で山尾さんのことを語っていました。
表題と本文の一部を紹介します。
<山尾さん、孤独の出発に自信を 恋は理性の外、人生は続く>
何気(なにげ)なくつけたテレビの画面いっぱいに、端正な美貌(びぼう)の女性が、涙のたまった両目をしっかりと見開き、正面を向いてしきりに言葉を発している。その表情がまれに見る美しさだったのと、しゃべる言葉がしっかりしているのに驚かされ、テレビから目が離せなくなってしまった。
(中略)
とにかく頭のいい人だという印象が強かった。ホテルに2人で入ったことがあったのも、男は1人帰り、泊まったのは自分1人で男女の関係はないと言いわけしていた。そんなことは神のみぞ知るで、誰も当人の言いわけなど信じる者はいない。
95歳の私が、今頃思いだしても噴飯ものだが、今から60年昔、私の35歳の時、東京・野方に下宿していて、ある日、野方の駅から電車で新宿まで出かけた。乗客の少ない電車の中で、座るなり目に入る天井からの吊(つ)り広告に目をやったら「ある奇妙な女流作家の生活と意見」という文字が目に飛びこんできた。
(中略)
あきれて記事を読んでみると、会ったこともない見知らぬライターが私の小説の端々をつぎあわせ、勝手な妄想を加えて、不倫の生活だとこと細かく報じてあるのだった。相手の実名も書いてある。私はあきれかえり、すぐさま公衆電話で、その会社に電話をし、キイキイ声で編集長を呼びだし、一度のインタビューもなく、いい加減なことを書くなと、どなりつけた。
相手はそんなことに慣れているらしく、インギン無礼に言葉をにごすだけで、結局どなりつづける私の方が疲れ切って、声も出なくなってしまった。その会社は半年もしないうちにつぶれてしまった。
その気持ちのよかったこと!
(中略)
不倫も恋の一種である。恋は理性の外のもので、突然、雷のように天から降ってくる。雷を避けることはできない。当たったものが宿命である。
山尾さんはまだまだ若い。これからの人生をきっと新しく切り開いて見事な花を咲かせるだろう。それを95の私は、もう見られないのが残念。
2017年9月14日
その当時、私は瀬戸内さんのエッセイを読んでいたこともあり、その後の山尾さんに期待していたものです。
しかし、その後の山尾さんの動向を知るにつけ期待は急速に薄れていきました。
それは、彼女が憲法に関しての持論を述べたことが決定的なものになりました。
即ち「緊急事態条項にせよ9条にせよ、危機の国家に必要不可欠な力を、憲法上無視し続けることで抑制しようという考え方は、日本の法の支配にとって有害です」と自身のブログで述べたからです。
その後も緊急事態条項の制定には執念を燃やしており、「この人は終わった」と思い知らされました。
先の参議院選挙では国民民主党からの出馬に失敗して、無所属で東京地方区から立候補、落選しました。
その山尾さんが今もなお政治に対して執着あるようで、今回の様な憲法に関わる発言をし続けているのです。
それにしても、何につけても論理的な思考を貫いてきた彼女がここまで権威主義的な発想、右翼的な感性の持ち主であったのには驚きました。
彼女が学んだ法とは何であったのでしょうか・・・?
さて、ここまで前置きが長いわりには結論は実にあっさりとしています。
以下のような展開になりましたので時系列で紹介します。
まず、山尾さんの投稿に対して私は単刀直入に感想を返信として以下の投稿しました。
国家の尊厳より個人の尊厳こそ大切にしてもらいたいです。少なくとも日の丸に象徴される国家などに私は規制されたくありません。
これに対して山尾さんからではなく、他の方々から私に反論が投げかけられました。
(返信A)貴方の家の家紋に人糞付けても不快では無いと?
まあ、何というマヌケな反論でしょうか!
当然ながらこの方には返信せずに「悲しいね」マークを送りました。
そもそも家紋なんて私は多少の興味はありますが、自分の家固有のものでもないし、まして人糞・・・。
敢えて言えば、これも個人の尊厳ですからね。
こういう方以外にも次のような反論をされた方もいらっしゃいました。
(返信B)あなたみたいな人が必ず出てくるのがこの問題。そもそも、個人の尊厳など、国家が無ければ保証されないんですよ。その国家の尊厳を踏みにじっておいて、個人の尊厳ガァーなどと日うのは矛盾しているんです。
国旗は政権だけの象徴じゃありませんよ。貴方の尊厳を尊重する国民の象徴でもあるんです。それを侮辱する事のどこが個人の尊厳ですか。
日の丸が嫌いなら、どうぞお好きな旗の国へ行って下さい。もっとも、世界中で自国の国旗を損壊するような輩の尊厳を守ってくれる国など無いと思いますけどね。
どうですか、この方のおっしゃる内容やおっしゃり方は?
国民の象徴である国旗とか、国家がなければ個人の尊厳なんて保証されないとか、「国民国家論」さえまともに理解していない方が、人権概念である個人の尊厳について論究するのは無理があります。
まして、「国民国家論」そのものも差別と排除の論理をも包摂していることを考えれば、国民とか国家の関係を国旗を通じて安易に語るのは実に薄っぺらな論理としか言いようがありません。
最後にダメ押し的にもう一つの反論ですが、この方の言い方が端的に表れています。
(返信C)個人の尊厳は国家無くして保証はされません。
先ほども述べましたが、「国民国家論」がこうした考え方を広く流布させているのではないでしょうか?
それもあやまった受け取り方で・・・。
それだけ「国民国家論」には脆弱な部分があるのだと思います。
思わぬ方向へ論が進みそうなので、別の機会に述べたいと思いますが、今回は山尾しおりさんの投稿に見える危険な部分と、それらを支持する人々の軽薄で差別的な言説を紹介しました。
<国家の尊厳より個人の尊厳を>