こんばんは。
母親を赦し最高判断力で生きるシータヒーリング @大阪・塚本
溝上 寿子 です。
「かつての自分の人生はどんなものだったか」
「なぜ今の仕事(マクロビオティック・シータヒーリング・アクセス・バーズ)に出逢ったのか」
「それによってどう変わったか」
について書いています。
前回の記事はコチラ→完璧な食事を与えられていたのに不調―私がマクロビオティックに出逢うまで6
中学生になると私は運動部に入りました。
先回も触れたように、私は運動は不得手でした。
それなのになぜ、の答えは
1.ちょっとできるようになったらうれしくなった ←これはいいですね
2.コンプレックスを潰さなければならなかったから
2は母の態度に起因しています。
褒めてくれるという事がなかったです。
いかに学校や周りの大人に褒められても
母は「できていない点」を見つけて指摘しました。
私が周りの賞賛と母の指摘のどちらを採用したか?
母の意見です。
だって、そうしないと「ごはんを食べさせてくれないから」
実際に食事抜きにされたということではないのですが
家族との関係って、いかに母親を不機嫌にさせずに生き延びるか、でした。
だから不得手だった体育と算数と理科を何とかしないと愛されない
子ども時代にじゅうぶん褒められ励まされると
子ども時代を完了し、大人として生きていきやすくなります。
その点、私はスッキリ完了できないままの状態で
ちょっとした生きにくさや困難をつくり出すことになります。
ところで、やっぱり運動部はハードでしたね。
時代も時代だったから理にかなったトレーニングというより根性試しでしたし。
シータヒーリングを始めてからしばらくの間
「まだ“体育会系”が抜けてないですね」とよく言われたもんです。
すなわち「苦しければ苦しいほど成長できる」という思考。
すると神は、成長のために苦しさをたくさん届けてくれます
お読みいただきありがとうございます。
次回は将来選択のことを書きますね。
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