こんばんは。
母親を赦し最高判断力で生きるシータヒーリング @大阪・塚本
溝上 寿子 です。
「かつての自分の人生はどんなものだったか」
「なぜ今の仕事(マクロビオティック・シータヒーリング・アクセス・バーズ)に出逢ったのか」
「それによってどう変わったか」
について書いています。
昨日の続きです。
さて、中学生といえばそろそろ進路を決めるわけですが
前提
・体力に自信がない
・母親を不機嫌にさせないために
で選びました。
ほんとうはやりたいことがいくつかあったんですが
母に「そんなの大学に行かなくてもなれるわよ!」と一喝され
「教育だけは受けさせたい」という信念に沿うことにします。
当時私が住んでいた地域では
公立高校の序列がはっきり決まっており
・・10校くらい選択肢があったはずなんですが
もう、1ランクでも上にの学校に1人でも多くの生徒を行かせることが
先生たちの間でもステータスになっていました。
子どもたちもプレッシャーを感じていたし
母も少なからず恐怖心を煽られていました。
子どもながらに「何だこの状況は」と呆れ失望していました。
でも、大人たちの機嫌を取っておくと、大切にされるし楽なんですよね。
ハイハイ、お勉強できればいいんでしょ?
と、その通りにしました。
大人になってから
ほんとうにやりたい事のためには
家を出て住み込みでもいいから生きていけばよかったのに
そこまでの気持ちはなく私は意気地なしだったなあ
と感じていた時期もあったのですが
母を救うことが当時の私にとっての最優先の仕事だったし
精一杯やっていたのよね、と今では思います。
ただ、この時
自分の意志を捨てたことは確かで
母の理想の娘を演じる人生を始めることになります。
お読みいただきありがとうございます。
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