らぶとらいおん!のブログをご覧の皆さま
こんにちは。
らぶとらいおん!の、りおですっ☆
前回の記事に引き続き、一人旅の記事を書かせて頂きたいと思います!!
↓前回の記事
1st Trip By Myself by りお
この記事では、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所を
メインに書いていくので、よろしくお願いしますっ(・ω・)/
○アウシュビッツ第1収容所

こちらはガス室跡です。
人々は何も知らずに到着後この部屋に入れられ、一瞬で命を落としました。
この広い部屋にぎゅうぎゅうに詰められて入れられ、毒ガスで殺されたそうです。

これは収容所にいた人たちの写真です。
名前と亡くなった日が書かれていました。
この写真では髪の毛がありますが、他の写真では男女関係なく坊主姿になっていました。

これら写真はすべて女性です。
また、髪の毛も切られた後、没収され、それらの一部も展示されています。

人々は到着後すぐに選別が行われました。
ユダヤ人は地位に関係なく、ガス室へ送られてそうです。
この時、人々は何をしているのか把握していないまま、選別されていたそうです。

こちらも門と同様、有名な「死の壁」です。
ここで、何千人もの人々が銃で抹殺されました。
壁には現在でも銃弾の後が残っていました。
この壁が当時の状況を鮮明に写しています。

こちらはトイレです。
男女混合で排泄をしていたそうです。
↓没収された遺品の数々

こちらはめがねです。
これも一部だというから、驚きです。

こちらは杖や義足です。

こちらはかばんです。
かばんにはそれぞれが帰る時にと名前や住所が書かれています。
展示されているのはほんの一部で、これの何倍も没収されています。

こちらは現在国立博物館としてポーランド政府が管理しているため、
このように写真や当時の状況を語る展示ボードもありました。
○アウシュビッツ第2ビルケナウ収容所

終点駅がビルケナウでした。

これはベッドです。
このベッドで約21人の人々が寝ていたそうです。
ベッドは3段ベッドになっています。
つまり、1段に7人が一緒に寝ていたということになります。
この3段ベッドが1つの建物の中に、所狭しと並んでいます。
また、その建物もたくさん建てられていました。
数え切れないほどの人々がこういったバラックと呼ばれる
建物の中で生活を共にしていたのです。
ですが、皆さんもご存知のように、食糧不足や栄養失調、
さらには感染病、過度の労働などが原因で、これらの収容所で3ヶ月以上
生きた人物はほとんどいないそうです。
生き残れた人々は研究者たちが知る中でもまれなケースだそうです。

こちらも男女混合のトイレです。
ピーク時には14万人の人々が収容されていたため、トイレをするのも大変だったようです。
共同のトイレなので、長蛇の列が出来、1人3秒程度しか排泄時間がなく、
トイレをするのにも、プライバシーや時間がなかったそうです。

ナチスドイツはこれらの収容所での出来事を隠すために、いくつかの建物を壊そうとしました。
その残骸が今でもこれらの収容所内にそのままの状態で残されています。
○感想
実際に行ってみて、自分の想像以上に衝撃をうけ、歴史の重みを感じました。
卒論の中に盛り込んでいきたいと考え、今回こうやって行動に移し、自らの足で
アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所を訪れましたが、この残酷な黒歴史を
今後も何らかの形で、語り継いでいかなければならないと思いました。
歴史に背を向けたままでは、世界平和など到底実現は出来ないと思います。
卒論でダークツーリズムを取り入れることで、もっと歴史と向き合う機会が
増えてくるので、ここで学んだ「学び」を次へと活かしていきたいです。
そして、またこの場所へ帰ってきたいと決意しました。
いつになるかはまだ決めていませんが、次来る時はツアーではなく、
自分の目だけで、この地と向かい合ってみたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。
りお