武蔵野を愛した文豪の住まいと庭園へ~♪ | 花つむぎ教室のブログ

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生徒さんの作品や日々の出来事など、
また移りゆく季節を彩るさまざまな美しい花などをご紹介しています。

武蔵野の面影が残る芦花公園の一角に、明治・大正時代の文豪徳富蘆花が

愛子夫人と後半生を過ごした住まいや庭、そして蘆花夫妻の墓地などのある

「蘆花恒春園」に行って来ました。園内にある花の丘に咲くヒマワリ畑は先日来より

ご紹介させていただいておりますが、ブログを見た下馬に住む友人から車で迎えに

行くので一緒に行って案内してくれないかということで、再び訪れた次第です。

園内には、私も大好きな蘆花が植えたというモウソウチクの林があります。

 

入り口を入って、右側の遊歩道沿いにある竹林です。

 

 

 

 

 

 

入り口前の光景

 

 

入り口を入った左手には、蘆花が著作などを収蔵した記念館があります。

蘆花が愛した庭園や旧住まいなどを見に、右手の竹林道の方へ足を運びます。

 

 

 

この竹林へは、8月と10月頃に毎年来ておりますが、いつ来てもこの青々とした伸びやかな

美しさは変わりませんね。

更に奥へと進んで行くと、クヌギやコナラなどの雑木が目につきます。

これらが茅葺の母屋や秋水書院、梅花書屋と相まって、蘆花が愛した武蔵野の面影をしの

ばせています。

 

 

更に奥へと進んで行くと「秋水書院」があります

この秋水書院は、よくTVなどの対談番組や、ドラマのセットとしてもよく利用されるそうです。

時々、気付く時があります~♪

 

 

 

 

-蘆花が欲しがっていた,寄贈された六地蔵の一體-

 

 

 

 

-その先には、蘆花が過ごしたという旧宅と梅花書屋が-

 

 

この梅花書屋の名は、蘆花の父で徳富一敬から譲られた書から名付けられたそうです。

 

 

蘆花旧宅の入り口門からの光景です

 

 

その裏手には、蘆花が亡くなった後に愛子夫人が一人住んだという家があります

 

 

旧宅前の光景

この旧宅門から10mほど前に、ご夫婦の墓所があります

 

 

 

 

墓地前から、蘆花が過ごしたという旧邸宅地を望む

 

 【蘆花恒春園の概要

蘆花は明治40年2月まで、東京の青山高樹町に借家住まいをしていましたが、自然に親しみ

土に生きる幸福を体現しようと、当時はまだ草深かった千歳柏谷の地に住居を求め、自宅を

「恒春園」と名付けました。昭和2年9月18日、静養先の群馬県伊香保で逝去するまでの

約20年間、この地でトルストイを想起させる晴耕雨読の生活を送りました。

 昭和11年の蘆花没後10周年忌に際し、愛子夫人から当時の家屋、耕地そして墓地が

東京市に寄贈され、その後夫人の意向に沿って、武蔵野の風景を保存し公園として公開を

開始しました。これらの建物は老朽化により改修されており「徳富蘆花旧宅」として、昭和61年

に史跡として東京都より指定されています。 (東京都建設局サイトより引用)

 

【交通】

 京王線「芦花公園」または「八幡山」下車 徒歩15分

 「千歳烏山」から京王バス(小田急線「千歳船橋」行き) 「蘆花恒春園」下車 徒歩7分

 

明日9月1日に、毎年恒例の「ヒマワリ祭り」が「花の丘」で開催されるようなので、

都合がつけばぜひ訪れたいと思っております。

 

 

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