私が在籍中に卒園していった沢山の教え子たち。その中でも特に思い入れのあった子のうちに、園長がバズ先生が退職すると連絡をしていて、大きくなった彼がサプライズで会いに来てくれた。
彼は重い心臓病を持っていて、普通の生活は困難と言われる中、ご両親がせめて保育園時代だけでも、普通の生活をさせたい!と希望し、保育園に通っていた。
・成長と供に動きが制限されるんです。だから、保育園の時だけでも沢山動いて遊ばせたくて
まだ、彼が在園中の頃に彼のお母さんから聞いた言葉。成長に伴って体が大きくなると、心臓からの血流が末端まで届きにくくなるそうで、大きくなればなるほどに体が思うように動かせないとの事。
その話をしてくれたときのお母さんは、目に涙をためていたけれど、それをぐっと堪えて教えてくれた。
やるせない気持ちと返す言葉のない気持ち。ハンデを持つ子どもの病気を受容した親の心や、生活の負担はほんとに計り知れないと思う。
・せんせ、元気でね
彼は片言のしゃべり方になっていた。あれ?保育園の頃はもう少ししゃべり方もスムーズだったけど、、、喋りとかにも影響出ちゃうのかな?少し知的な部分もハンデをおってしまうのかな。。
そんなことを巡らせながら、彼との久々の再会に嬉しさと感動が込み上げて、私の保育園の先生としての年月は幕を閉じた。
本当に沢山の子どもたちと出会った。
様々いた。様々な家庭があった。
思えば、重いうつ病に悩むお母さんもいた。
登園や降園時には日によって目が合わせられないとか、話をしていると急に神様が帰りなさいと言ったのでそろそろ行ってみますと言い出したりなど、やはり病んでいたのだと思う。
当時は少し怖いなこの人、、、と思っていたけど、いろいろな葛藤の中に生きていたんだろうな、あのお母さんも。
あとは離婚騒ぎに巻き込まれる子どもたちも見た。
やはり子どもは親の様子を見ている。
クラス一番の何でもできちゃう男の子。皆のリーダー格でどこか大人びている。
大抵は先生、腕につかまっていい?とかクラスの子達は一度はベタベタしたがるのだが、彼はそういうベタベタしたやり取りは拒む子だった。
でも、、、
彼の両親が離婚して母方についた頃
せんせい、、、
そう言って彼が背中にペッタリとくっついてきた。
背中越しに伝わる寂しいっていう気持ちをすごく、すごく、感じた。
お父さんの温もりをなくした彼にとって、私の背中はお父さんに似ていたかな?
きっと本物じゃないし、違ったと思う。でも、一瞬でもお父さんみたいって思ってくれてたら、彼の気持ちがその時一瞬だけでも、安らいでたらうれしいって思った。
書き出したら書ききれないほどに沢山の子どもたち、沢山の心に触れた。
思えば、こういう直球の感情に触れてきたことが今の私の心の栄養になっていたのだと思う。
保育園で私は大きく心の成長をさせてもらった。当時、妻にもよくこういう子がいるんだよなど話はしていた。妻もいろいろな家庭があるねと思ってほしかった。
さて、新しい年度の4月がきた。フリーターの私たち。
私たちはそんな中、沖縄に行こう!となる
何だそりゃ(笑)なぜ沖縄?はまた、次の軌跡で